メモ帳用ブログ

色々な雑記。

自分の中の草太像がなぜかどんどんクラーク・ケントに近づいているんだけど、我ながらわかるようなわかんないような感じだな。草太にはあんなにはっきりした二面性ないし。草太はTPOに合わせて結構色々な態度を取るけど、丁寧さと前に出す部分を自然に調整しているだけで、演じ分けているとかではないだろう。閉じ師でも、大学生でも、鈴芽の前でも、ダイジンの前でも、芹澤の前でも、祖父の前でも、全部草太。
それを考えるとただの新聞記事としてのクラーク・ケントでもスーパーヒーローとしてのスーパーマンでも演技が入らざるを得ず、クリプトン人のカル=エルという自分の知らなかった出自さえある、ジョナサンとマーサの息子のクラークは自己同一性が大変だな。それでもスーパーヒーローやってるんだからまさにスーパーマンでマン・オブ・スティールだ。