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色々な雑記。

鈴芽は


草太に「君は死ぬのが怖くないのか?」と聞かれ「怖くない!」と答えた。
確かにあの状況は女子高生がいきなり飛び込むにはあまりにも危険だった。この廃学校で鈴芽は草太に覚悟を認められ、2人は戦友になった。
この以前に九州で扉を閉めようとする草太に協力した際も、まともな神経を持つ女子高生なら遠巻きにする他ない現場に鈴芽は自ら足を踏み入れている。
さらに鈴芽は神戸では廃観覧車で宙吊りになろうとも臆することなく戸締まりを行った。東京では上昇するミミズの奔流に身を投げ出し、ろくな足場もないままよじ登って、上空で戦いに臨んだ。
話の流れとしては、まず故郷の危機に立ち向かうために頼りがいのありそうな青年に協力するところから始まり、徐々に危険性が上昇するので違和感がなく見られるようになっている。草太に一目で何らかの感情を動かされていた様子もあり、草太を助けたいと感じた心情も理解できる。さらに草太が椅子に変えられてしまった後は、その責任を感じたから、というのが協力する強い動機になったのが客観的に把握できる。
それでも現実的に考えるなら鈴芽は行動のベースがあまりにも無謀だ。ただエンタメならよくある程度の無謀さであるために引っかかりは生じない。草太に一目惚れしたと誤解するなら、恋は往々にして正気を失わせるものということで、なおさらにこの点は気になりにくい。
だがこれはある種の作劇上のトリックではないかと思う。単に作品のリアリティレベルが低かったためだと思われていた鈴芽の無鉄砲さが、実は2011年の震災というこれ以上ないリアルを背景にしたものだったことがストーリーの後半仄めかされ出す。鈴芽は4歳で震災に見舞われ、母親を失い、日常を失い、自分自身の生と死の境界さえ確かなものは感じられなくなってしまっていた。だからどんなに危険な状況でも死が怖くなかった。
受け手が鈴芽のうちに秘めたのものを悟る時、根底に横たわるそのリアルに触れる時が、すずめの戸締まりという作品の本当の姿を知る瞬間になる。