メモ帳用ブログ

色々な雑記。

一方の草太はこの小説で人間性は大体明らかになったものの、経歴はほとんどが依然不明なままだ。
とりあえず、閉じ師の才能が隔世遺伝したために父親と引き離されて祖父に育てられたという点は明らかになっている。そしてこの後なのか先なのかは不明だが、2011年の小学3年生の時に祖父は片腕を失った。草太の父親は下町(おそらく東京の)に住んでいるとのことなので、もしこの時点から祖父が御茶ノ水の病院にずっと入院しているのなら、草太は親の家から通いで祖父の指導を受けられただろうし、祖父が育ての親という表現にはならない。東京で要石を刺す際の戦いで隻腕になったとのことなので、怪我をした直後は東京の病院に入院したかもしれないが、程なく退院して一旦帰宅しているはずだ。祖父の実家は東日本の都心から離れた場所と考えるのが自然だが、もし祖父と父親の折り合いが悪いなどの事情があるのなら都心周辺の可能性もある。
ただもし祖父と父親の折り合いが悪いとしても、父親は草太を祖父が育てることに同意している。現代において大した影響力はなく、緊密な組織を築いているわけでもない閉じ師の祖父が親の同意も得ずに孫を自分の元で育てるのは不可能だ。現在の草太もたまに父親に会いに行きつつ、基本的には祖父を尊敬している。草太の弟子入りの際に強引な手段は取られていないはずだし、草太の様子からしても祖父に育てられている間、自由は少ないにしろそれなりに普通の生活を送っているようだ。閉じ師だけで食べていける時代でもないのだから高校にも進学しただろう。
草太の母親については新海監督も触れていないので、もしかしたら草太の母親は幼い頃に他界しており、そのこともあって祖父と、いるとしたら祖母が育てることになった可能性もある。
根拠のない印象だと、草太が高校生の時に祖父が体調を崩して長期入院が必要となり、父親とも相談した上で御茶ノ水の病院に入院させることになったと想像している。そしてその頃には草太の閉じ師の修行は一通り終了しており、自由な時間がようやくできた。立教大学の入試に合格し、友人と夜通し語り明かすような大学生らしい時間の使い方を期待していたところでコロナパンデミックが発生。閉じ師の仕事を一人でこなしつつ、授業はオンラインのみで大学のキャンパスにも行けない状態が2年間続き、とうとうおとずれた初めての対面授業の日に隣の席の芹澤から声をかけられた、といったところだろうか。
草太の祖父が隻腕となってから草太が一端の閉じ師となるまでの期間は他家の高齢の閉じ師に引退を先延ばしにしてもらうなどの協力を仰いでいたのかもしれない。