メモ帳用ブログ

色々な雑記。

設定の点と点は大量にばらまかれていて詳細に描写されているのに、それらを繋ぐ線や構造が見えてこない、ってのもセカイ系の特徴だ。本来ひとつの作品として成り立ちようのないバランスの悪さなのに、先行作品のお約束を強く意識させることで、なんとなくそういう作品として受け入れられてしまう。裏設定はあるけど少年の主人公の視点に合わせて見せていないだけだろうと感じさせるものもあれば、主人公と彼女の関係が主題だから面白く見れるけど世界設定はただのカキワリだなと感じさせるものもある。
ほしのこえ』でヒロインが学生服姿でロボットに乗っていたり、光年単位の遠距離通信ができる端末がまんま当時の携帯だったりすることの設定的な理屈は作中で全く描かれていない。だけどこの作品の主題は技術革新のシュミレーションでなく恋愛だ。SF的な設定やロボットなどはあくまでそうした状況でも変わることのない現代的な恋愛感情を引き立てるための存在だ。それを示すために、現代の学生を強く感じさせる小道具がSF風のアレンジを加えられることもなく細密に描写されている。
ほとんどの作品にも点と点がうまく繋がっていない部分や先行作品の文脈を前提にしている部分はあるんだけど、セカイ系の作品はとりわけその傾向が際立っている。中間項の欠如は主人公と世界の関係に限らない。
中間項の欠如だけなら今のなろう系にも当てはまる言葉だ。しかしなろう系には点の詳細な描写がないものも珍しくなく、とにかくイベントと成功体験の量を重視する傾向が強い。特に現代もしくは現代と非常に酷似した学生生活を主な舞台として丹念に描写したりはしない。なろう系はオタク的なフォーマットを使っているようで実は旧来のオタク的な要素が薄い。ヤンキー・サブカル・オタクの三区分なら、ヤンキーとオタクの中間的な作風になる。旧来のオタクが苦手とする意味での一般に近い作風とも言える。
もちろんなろうに投稿されている作品にはいわゆるなろう系に当てはまらない作品も多いし、なろう系の作品の中でも例外はある。