メモ帳用ブログ

色々な雑記。

書きたいこと。
すずめの戸締まりのあのセリフの意図については新海監督自身がインタビューで語っている。

その上で新海監督があのセリフを書いた文脈だろうと自分が考えている事柄について言及してみる。ただ、現状では二重、三重にセンシティブな話題になりかねないから慎重に書こう努めてはいるけど、まだ慎重さが足りないかもしれない。
数年前からウェブ記事で現在のチョルノービリ原発チェルノブイリ原発)は野生生物の楽園になっているという内容のものをよく見かけるようになった。よく記事になるということはそれだけニュースバリューのある話題ということであり、それだけ驚きのある内容ということだ。昨年までチョルノービリ原発は世界の関心を集める一大観光地にさえなっていた。
チェルノブイリが野生動物の楽園になっていることはゼロ年代には既に生物畑の人間の間ではそれなりの話題になっていた。実際、自分もその話を初めて聞いた時は少し驚いたし、考えてみれば当たり前のはずのことに驚いた自分にも驚いた。


この内容に驚きを感じるのはそれだけチェルノブイリ原発といえば死の荒野という印象が強いからだろう。制御を失った核エネルギーによる荒廃のイメージは多くのエンタメ作品の影響もあって日本では広く共有されている。
チェルノブイリ原発事故の際には原発の職員だけでなく周辺の人々や動物が多数死亡した。直後の死亡を免れた人々の間でも、急性、慢性ともに甚大な健康被害が発生し、事故から40年近くを経た現在でも発生し続けている。そして植物でさえも周辺十kmにわたり枯死した。だからチェルノブイリ原発周辺が死の荒野になったということは誇張でも何でもない。ただしそれは事故直後の話だ。
実は事故後数年で植物は再生を始め、新たな土壌が厚みを増し、野生動物が生息するようになった。もちろん動植物ともに、人間だったら看過できない重大な健康被害を受けつつ、ではあるのだが。何より、新たな土壌の下には未だに急性障害を引き起こすのに足るだけの放射性物質が、大量に眠っている。昨年、何も知らずに土壌を掘り返してしまったロシア兵たちのように、ちょっとしたアクシデントが重なればまだまだ惨事は起きうる。
『すずめの戸締まり』で芹澤は植物が茂り遠くに海の見える福島の帰宅困難区域の風景を綺麗だと感じた。「このへんって、こんなに綺麗な場所だったんだな」と呟いた。この言葉は、このへんはこんなに綺麗な場所だと思っていなかったからこそ、意外さのあまり思わず言葉が漏れてしまったというニュアンスだ。おそらく新海監督は帰宅困難区域は不毛の荒野となっているようなイメージが心の隅にあり、取材のため実際に足を踏み入れた際に自然の営みがある景色を見て驚いたのだろう。
新海監督は東日本大震災の直後桜が咲いたことにも驚いたと語っていた。東日本大震災とそれによる原発事故により、世界の終末が訪れて何もかもが終わったような錯覚を起こしかけていたのではないだろうか。それにも拘わらず桜が咲き、生命の営みも世界も続いていくことを知って意外に感じたということのようだ。そしてそこまで終末を感じ取ってしまった背景には、前世紀から続く、日本人が、むしろ世界中の人々が薄々感じている核エネルギーというものに対する不安感があったはずだ。
新海監督はあの場面で自分の気持ちをそのまま芹澤に言わせたことを明言している。ただ、自分の気持ちを背景の異なる芹澤にそのまま喋らせたことにより、若干の不整合が生じているきらいはなくもない。チェルノブイリ原発事故とは違い、福島原発事故では周辺の動植物が全て死滅するほどの破局的な放射能汚染は生じなかった。若者である芹澤はチェルノブイリ原発事故の情報にもあまり触れたことがないのではないかと思う。だからの荒野と化していたはずの帰宅困難区域で自然の営みが続いていて驚いた、という心情に至るまでの論理の中間項が見出し難い。
あえてそれらしい中間項を考えるならば、小学校三年生の時点で、おそらく帰りの会頃の時刻に震度5以上の地震を体験し、親が学校に迎えに来るまで学校から帰れず校舎の中にもいられず寒空の下で待機しなければならないという異常事態を経験し、栃木県出身にしろ茨城県出身にしろ隣の県である福島県原発事故が起き、その後も放射性物質の混じった土埃が当時の北風に乗って自分たちの県に運ばれてきて、小中高と原発の恐ろしさについて考えましょうみたいな授業を受けてきた芹澤にとって、福島原発周辺は意識に上らせたくすらない死と破滅の象徴であり、それが実際の帰宅困難区域を訪ねたことでその凝り固まった追い込みがほぐれた、みたいなシナリオを捏造できなくもない。ただ、これは解釈でも考察でもなく二次創作だな。自分で書いといてなんだけど、こういう捏造で何かを納得した気になるのは自分の趣味じゃない。
あと、作品全体として死の需要と死を背負って前向きに生きていくことがテーマであるだけに、廃れた場所が場所として亡くなっていることを前提としている点はどうしても賛否が分かれる部分だろう。
比喩的に場所の死とは言っても、やはり生物の死とは本質が異なる。生物の死にもグレーゾーンは存在し議論になるが、場所の死にはむしろグレーゾーンしか存在しない。だからこそ過疎や衰退の問題は難しいのだが。特に以前の活気を取り戻したいと考えて復興を目指している人々からすれば場所の死という言葉は無神経に響くだろう。
そして場所が間違いなく亡くなっている状態だとあえて想定したとしても、死を受け入れて前に進むという綺麗事がどれだけ正しいのかを認めるとしても、このように定めた前向きさに従って生きろと求められることにはどうしたって暴力的な圧迫が伴う。前向きであれと願われることですらそうだ。復興が不可能なチェルノブイリにさえ事故後も政府の勧告を無視して住み続ける人々は一定数存在した。
もちろん新海監督はこれらの点を踏まえた上で『すずめの戸締まり』における表現を選択した。母親の死を受け入れらない幼い鈴芽と、母親の死を仄めかしながら哀れみの言葉をかける故郷の人々の声(彼らは心から鈴芽を心配したのだろうし、どう考えても亡くなっている母親ときっとまた会えるなんて嘘をつきたくはなかったのだろうし、他人の子をうちの子にするなんてそうそうできなくても当たり前だが、幼い鈴芽を追い詰めるには十分だった)。福島で眼前の町は場所として死のうともそれでも自然の営みが続くことに慰めを覚える芹澤と、場所の死を死を前提とした言葉にショックを受ける鈴芽。こうした構図から新海監督が前向きさのはらむ暴力性について意識していることが感じ取れる。ただそれでも鈴芽は自分自身の選択として前向きに生きていくことを選び、『すずめの戸締まり』ではそんな鈴芽に焦点を絞った。
この作品で注意しなくてはならないのが場所の死は必ずしも土地の死を意味しない点だ。新海監督は現状の生活空間が連続しない点を場所の死と考えて悼む対象としている。だがその後にその土地に新しく人々が生活するようになり、新たな場所ができる可能性にも希望を持っている。鈴芽は常世から現世に帰還して自分の人生を歩み始め、駅で一旦草太と別れる。その駅とは織笠駅であり、織笠駅とは駅舎が震災で流されたが山の上に建て直されて再生された駅だ。新海監督はインタビューで織笠駅について語っている。

深読みしなければ伝わらない意図ではあるが、そうした希望も作中に込めていない訳ではない。