メモ帳用ブログ

色々な雑記。

すずめの戸締まりに面白いけど内容はないと感じる人はテーマを掴みそこねている。もちろんただの観客なら内容を届けられなかったのは制作者の責任だが、プロのライターなら内容を汲み取れないのは己の不明を露呈することだ。
すずめの戸締まりのテーマのひとつに「場所を悼む」ことがある。悼むとは他者の死を悲しみ嘆くことであり、そうして死を認めて区切りをつけていくことだ。メインとなるのは東日本大震災による主人公・鈴芽が故郷の喪失を受容していくことだが、作品全体の背景となっているのは日本の廃墟の増加だ。新海監督はすずめの戸締まりの構想を練る際、廃墟や寂しい場所が増え、日本が老年期に差し掛かっている点をまず意識していたそうだ。そして現代を舞台に東日本大震災を題材とすることを考えついた。
草太という名前も廃墟にやがて草が生え、自然に還るところから命名された。人のいなくなった場所の死を悼んで土地を自然に返す閉じ師の仕事をよく表した名前だ。


草太は後ろ戸についてこのように説明する。

人がいなくなってしまった場所には、後ろ戸が開くことがある。そういう扉からは善くないものが出てくる。だから鍵を閉め、その土地を本来の持ち主である産土に返すんだ。

人の心の重さが、その土地を鎮めてるんだ。それが消えて後ろ戸が開いてしまった場所が、きっとまだある。

また鈴芽も、客の減少で閉園した遊園地を見たルミの「最近そういう寂しい場所が増えたよねえ」という言葉から、自分がこの旅で目にしてきたものもそうした場所ではなかったか、と考えた。
後ろ戸が開いて災害が起きることから過疎化が始まるのではない。人がいなくなったのに土地が産土に返されないから後ろ戸が開く。産土=ミミズという設定は新海誠本2で明かされている。この作品における「日不見(ヒミズ)の神」とは当然ミミズのことであり、土地の返還を告げる草太の祝詞はミミズに対して捧げられている。ただし、人がいなくなった場所で後ろ戸が開いて災害が起き、それが原因でますます周囲の土地から人がいなくなり、という悪循環は起きうる。
地震が起きた後に後ろ戸が開く訳ではない傍証としては、作中で出てくる複数の後ろ戸が大地震が起きる前から開いていた点が挙げられる。まず宮崎県の後ろ戸は街ごと廃業した温泉街に開いたものだ。廃業したのは景気の悪くなった90年代以降のはずで、その後に宮崎県を震源とする大地震は起きていない。愛媛県の後ろ戸は千果の通っていた中学校が土砂崩れで集落ごと放棄されて開いたものだ。この土砂崩れが起きたのは2018年7月の西日本豪雨災害だろう。神戸の後ろ戸が開いた廃遊園地は、小説版によれば10年くらい前に客の減少で潰れたのだそうだ。神戸が舞台のひとつに選ばれた理由は阪神大震災から復興した土地だからだが、後ろ戸が開いた理由と阪神大震災とは無関係だ。東京の後ろ戸がある場所は、新海監督のティーチインによれば江戸城の隠された地下施設なのだという。時代が変わって放置されたまま皇居が建てられたこともあり、あのような特殊な後ろ戸ができたのだと考えられる。作中に出てくる古地図によれば、明治三十四年(西暦1901年)の時点で東の要石が皇居の地下にあるので、その時点で既に後ろ戸ができていたはずだ。
前後関係を無視して歴史を辿れば後ろ戸が開いた場所と大地震が起きた土地は重なるだろうが、この日本で大地震の起きたことのない土地はない。
「日本という国自体が、ある種、青年期のようなものを過ぎて、老年期に差し掛かっているような感覚があったんです」という新海監督の認識が正しいのかは置いておいても、「かつてはにぎやかだったのに今は廃れてしまった場所を目にすることが増えました」という点は日本全国の人間が納得する事実だ。日本の街のスプロール化を超えたスポンジ化は、国や各自治体が本腰を入れて取り組んでいる問題だ。高度経済成長期からバブルにかけて無計画に拡大した街が、その後の過疎化や景気の悪化によってスカスカになり、機能不全を起こしている。これを骨粗鬆症にたとえるなら、大災害は事故による骨折だ。弱った体には寿命に影響の出かねない大怪我であり、健康な体なら速やかに完治できたかもしれない怪我がうまく回復しない。これから日本の人口が全盛期並みに増加でもしない限り、日本の街の規模も全盛期並みに回復することはないだろう。そしておそらくそんな日はやってこない。
だがやはり国や街と人体は違う。まず人間には定まった寿命があり、老年期がある。だが国や街には定まった寿命などなく、老年期というのも繰り返される栄枯盛衰の一部分を切り出した比喩に過ぎない。ある時代が終わっても、地続きの新しい時代がやってくる。人類はいつか滅びるが、この停滞がそこに直接繋がっているとは限らない。また、骨粗鬆症になった骨の組織を一箇所に集約しても何の意味もないが、街なら拡散した家や機能を要所要所に集約すれば十全な活性化が見込める。対処療法的にはもう建物の建たない荒れ地を整備して公園や緑地として活用する必要も出てくる。そのためには、やはり以前の賑わいを取り戻すことを断念しなければならない地区は当然出てくる。しかし人口と経済の拡大期に今以上の拡大を前提として開発してきた街を、そのままの形で今後も維持していくことは土台無理な話なのだ。全てが手遅れになる前に現実を正確に認識しなくてはならない。新しい時代や新しい街を形成していくためには、日本の各地で何を残し、何を諦め、何を新しくしていくのかを、能動的に選び取っていく必要がある。