2022-11-12 ■ 椅子が三本脚だったり、 鈴芽の家が最初から母子家庭で母親も亡くなって叔母に引き取られたり、草太の両親がおらず祖父に育てられたということが特に説明もなく受け入れられていたり、草太の祖父が隻腕だったり、ダイジンとサダイジンはいてもウダイジンがいなかったり、今はまだ持ちこたえているけど少しずつかけがえのないものが欠けていっていることが強く連想させられる。そのうちどうにもならなくなって終わりが来る。終わりが来るとわかっていても、持ちこたえられる間は人は生きる。