メモ帳用ブログ

色々な雑記。

映画のグリッドマンユニバースの評判が良かったから見た。評判通りに面白かった。グリッドマンは好きだし結末そのものにも不満はないけど、想像に任せる部分が多すぎて少し消化不良、という人ほどおすすめ。最悪、ダイナゼノンは見てなくても話がわからないってことはない。
オーフェン好きならキエサルヒマの終端みたいだったといえば伝わるかな。たとえで出すにはマイナーすぎるかも。
グリッドマンよりダイナゼノンのほうが好みだったけど、同じくらい好きになった。
グリッドマンの感想はリアルタイムで何回か書いたけどダイナゼノンの感想は書いてなかったな。
ダイナゼノンはテーマや結論というよりも前提がすごくメタいアニメというか、生々しくてリアル系の現代社会・現代人がスーパー系超古代文明人・超古代文明ロボに掻き乱される、秩序に混沌が入り込んでからの日々は非日常のようでいて……、という構造の作品だ。リアル系ロボものとかリアル系特撮とかリアル系アメコミものとかのあくまで「リアル系」であってリアルではないお約束・メタっぽさをあえて全開にやっている。だから間口は狭め。正直初見だと第1話はノリがわからなくてとっつきにくい。でも第3話で勢いで宇宙まで行っちゃったり、第4話でヒロインが通学のためにダイナウイングを乗り回したり一般人に全然バレなかったりするあたりからロボ・メカ怪獣パートのノリが掴みやすくなる。設定面はもう少し踏み込んで明言してほしかった部分もある。ただ、ドラマ面での語り残しは感じない。面倒くささに焦点を当てつつも人間関係を肯定的に描いている作品だ。絆という漢字が本来は獣を拘束する綱のことを指していたと知っておくと内容を掴みやすい。絆は近代に入るまではもっぱら否定的な意味での人々の繋がりや束縛、しがらみを意味する言葉だった。出家の妨げとなる妻子との関係を表すのによく使われた。他にも英語のbondなど、結束と束縛の両面の意味を持つ言葉は数多くある。
怪獣とは自由そのものだとある人物は言った。「本当の怪獣使いは眠ったりしない」とも。グリッドマンにも裏腹な含みのこもった「本当の人間は眠ったりしない」というセリフが存在する。怪獣は人の感情から生まれながらも人の理の外にあり、心を持たない。ならば心とは。そして心を持つ怪獣とは。怪獣優生思想とは何を意味するのか。怪獣使いの素質とは何で、素質を持つ者の中でも怪獣使いになる者とならない者を分けるのは何か。感情を制御するものと何か。
ダイナゼノンはほぼ主人公の麻中蓬(公式での主人公というかヒーローはガウマ)の名前の由来が「麻中之蓬」(ねじ曲がりやすい性質を持って生まれたものも真っ直ぐなものに囲まれて育てば真っ直ぐになる)というところからして人間関係の物語だし、人間同士の感情の物語だ。ちなみにダイナゼノンのキャラの名前はほとんどが故事成語から採られている*1
映画のキャラの出番はグリッドマン2でダイナゼノン1くらい。ダイナゼノンのキャラはメインのドラマにはあまり食い込まないけど美味しいパート多め。やや切なめの本編ラストに対するハッピー盛り盛りの後日談でもあるからダイナゼノン好きにもおすすめ。
お腹いっぱいの出来。
追記。
もう公式というか宣伝でのネタバレが始まりだした部分だけど


レ、レックス……だと!?
メガミマガジンの対談を読む限りだと、最終回で人としての生は終わってて、現在は「メカが本当の姿で、人間は仮の姿」*2って状態なんだな。深刻に考えるとホラーだ。しかも思い付きを半ば冗談として語っている風とはいえ(設定の整合怪しい気がするし)、新世紀中学生はみんな自分の人生に一段落を付けた存在かもしれないという。
でもどんなかたちだとしてあの続きがあって、心残りをきれいに晴らす機会が与えられて、となると、やっぱり良かったんだなって。
以下、個人的なダイナゼノンの要約。
5000年前、国から利用され、やがて危険視され、消されそうになった怪獣使いたちは反逆を起こした。彼らは人間の社会に絶望し、怪獣たちのための世界を作るべく怪獣優生思想となる。怪獣使いのガウマは自分たちを裏切り殺そうとしている国*3の側に付き、4人の仲間たちを裏切った。ガウマは「国を裏切ったのはお前ら怪獣優生思想だろ」と告げつつも、仲間たちの側にだって理屈があることはわかっていた。死にゆくジュウガに「そんなに国が大切ですか」と問われ、「俺が大切にしているものは国じゃない」と呟いた。ガウマが守ろうとしたものは愛する姫の教えくれた3つのことだった。約束と愛と……。そしてガウマも力尽きた。
怪獣の再び出現する現代、5人の怪獣使いたちは理から外れた怪獣と繋がる怪獣使いであるが故に蘇りを果たす。姫との再会に希望を抱き姫のいるかもしれないこの世界を守ろうとするガウマは、怪獣優生思想と再び激突する。ガウマは姫が自ら命を断つ際に託してくれた龍の力(雨宮監督の解説メモからすると、怪獣とは超古代文明の技術で作られた兵器だと解釈できる*4*5。雨宮監督によれば「古代の怪獣に対するカウンターウェポン」*6だというダイナゼノンもおそらくそうした技術の賜物だ。5000年前の東アジアは新石器文化から青銅器文化へ移行する地域がどうにか出始める頃のはずだが、ガウマたちの国の文化や技術はそれを遥かに凌駕してる。のみならず現代すらも優に上回っている。実在が議論されている夏王朝さえ4000年前だ。映画版では姫の衣装にダイナゼノンの意匠を取り入れたとキャラクターデザインの坂本勝さんが語っており*7、怪獣もダイナゼノンもガウマたちの国の技術による兵器だと考えられる。ジュウガも第11話でダイナゼノンについて「あれはこの時代の兵器じゃない。きっと5000年前から仕組まれていたんですよ」と5000年前の技術で作られたことを推測している。「仕組まれていた」は言い過ぎだが、怪獣使いたちが未来で蘇る事態を予想して姫がガウマにダイナゼノンを託したことは間違いない。ガウマもジュウガたちも5000年前にはダイナゼノンを見ていないので、怪獣使い殲滅のための切り札として秘密裏に開発され、または以前から秘蔵されていたものが整備され、実践投入直前にガウマが4人を裏切って相打ちに持ち込んでいたという経緯だろう)、ダイナゼノンを駆った。そしてダイナゼノンを操縦するために再び4人の仲間を得た。新たな仲間たちは、皆当たり前のように少しずつ社会から裏切られ、傷つき、それでも他人のために戦おうとする者たちだった。彼らは社会に愛する人がいた。
第10話、体内に捕らえた対象の時間や空間を破壊し、過去や未来の区切りを消してしまう怪獣が出現。ガウマはやり直したい自分の過去と直面する。それは姫と出会った瞬間であり、まだ仲間たちを裏切る前の時間だった。国から裏切られる前の、仲間たちとの輝くような時間だった。だがガウマはやはり姫の教えを選び、仲間たちを殺した。可能性の過去の世界で再び事切れたガウマは、新たに得た仲間の1人である麻中蓬の声で意識を呼び戻される。麻中蓬は怪獣に囚われた人々が現在を奪われる中、自ら怪獣の体内に飛び込み、唯一人自力で抜け出していた。麻中蓬はかつて両親が離婚し、やがて母親が再婚に前向きになっていくことや、自分が母親の自由を縛っているかもしれないという思いに傷付いていた。だからなんとしても自立しようと自らの手で金を稼ぐことに躍起になっていた。しかし怪獣との戦いで仲間たちと親しくなり、そのうちの一人である南夢芽に恋をするうちに痛みを乗り越えていった。南夢芽は姉の死や人間関係で深く傷付いた少女だった。南夢芽も他の仲間たちも、怪獣との戦いで前向きになる機会を得ていた。そしてダイナゼノンに搭乗する全員が麻中蓬の言葉により過去から脱出し、怪獣を倒した。
とうとう迎えた最終決戦で、ガウマや蓬たちは怪獣優生思想を撃破する。だが徐々に衰弱していたガウマはついに人間としての死を迎えることになる。研鑽を積んだ怪獣使いは怪獣と繋がっている間、眠らず、飲食を必要とせず、生死にさえ縛られることがなくなる。だがガウマは怪獣使いでなくなっており*8、そうした自分を受け入れていた。怪獣使いでない姫がこの時代に蘇っていないことも悟りつつあった。ガウマは息絶えるさなか蓬たち現在の仲間の声を聞き、自分の行き先にいるはずの姫に対して「…この世界であなたとは会えなかったけど…あいつらと出会えた。なんでダイナゼノンを俺に託したのか、ようやくわかった気がするよ」と語りかけた。
遺された蓬たちはガウマのいない日常を送る。蓬たちの高校は学園祭を迎えた。蓬は母親の再婚予定の相手とも分け隔てなく接する。そしてふとした瞬間、怪獣と完全に一体化した怪獣使いのシズムにとどめを刺す直前、「君も怪獣使いになれる可能性があったのに惜しいことをした」と言われていたことを思い出す。シズムは他の3人とは違い、裏切られた反動で社会に牙を剥いたのではなく、最初から「混沌の自由」*9に惹かれて怪獣優生思想を抱いていた。怪獣と深く繋がれば、人の理や束縛から解放され、自由になれる。生死からすらも。それでも蓬は束縛され、他人と繋がり、傷つけ合い、やがて死んでいくただの人間としての生を選んだ。感情を制御するものは理性だけではない。理性は複数ある感情の舵取りをしているだけだ。束縛を厭うことが感情なら、繋がりを愛することもまた感情なのだ。蓬は夢芽の手を取り、クラスの企画であるホラー喫茶の店員をした。2人で共に死装束を着て、共に微笑んだ。


怪獣優生思想サイドは本編だとキャラの掘り下げが少ない分結構円盤特典を含めたボイスドラマでフォローされている。グリッドマンシリーズのボイスドラマはすべて雨宮監督が脚本を執筆している(「ボイスドラマは公式なのか別時空なのかあやふやなコンテンツ」*10とされており、シリアスなサイドストーリーからギャグ時空的な閑話まで作風が幅広い。同じく雨宮監督が脚本を務めるグリッドマンショー、ダイナゼノンショーはより振り幅が広く、イベントに出演する声優陣に合わせて怪獣優生思想が平然と生き返っているような内容のものまで含まれている。ほぼギャグ時空の話ではあるが、怪獣使いのまま死んだ人間なら怪獣やそれに準ずる存在のいる場所に出現することに最低限の理屈はつけられる)。別に本筋の理解には影響ないけど印象は変わる。ガウマはかつての仲間のことも、今の仲間と同じくらい好きだった。あと怪獣優生思想は言っていることとやっていることに矛盾が多いのがポイントだ。4人の社会に対する不満の要点はバラバラだし、各人現在の社会を壊した後の新たな一貫性のある社会のビジョンを持っているわけでもない。人も怪獣も自由であるべきだと語り変革を願うシズムと、人間を皆殺しにしたいオニジャと、怪獣のためにと言いつつも縋れる大義名分を求めているだけのジュウガと、他にやりたいこともないから仕事としてやってるだけのムジナでは同じところを目指せるはずもない。他のメンバーの考えも自分自身の考えもよく理解しないままに、なんとなくつるんで反社会行動に走っている。怪獣優生思想の4人を取り込んだ最後の怪獣、ガギュラに咬文嚼字怪獣という異名が付けられているのは示唆的だ。咬文嚼字とは文章の上っ面にばかりこだわって本当の意味を理解しないことを指す。学生運動(ガウマとオニジャが公式設定で5021歳*11*12*13。ムジナや、ガウマの後輩であるジュウガもおそらく同年代。シズムは蓬や夢芽と「一応、同い年ぐらいのつもりで描いているんです」*14と外見だけの話でないニュアンスで雨宮監督が語っている)や環境運動の一部には耳の痛い話だ。怪獣をお題目に掲げるくせに怪獣を自分たちの解放のために支配して利用していたり(ドミネーションは支配、インスタンスはこの用例ではおそらくプログラムの実体)、最後は怪獣になった自分たちがインスタンス・ドミネーションされて殺されたり(実はシズムは拒否できたのにしなかったのかもしれず、それでも和解できなかったことが蓬にとっての振り切った心残りだと雨宮監督が言及*15。蓬とシズムの関係の結末は蓬と第8話の怪獣・ザイオーンの関係の結末をなぞっている。シズムは怪獣使いが怪獣に介入しない場合の結果を確かめるため、他の3人を人間の娯楽に誘った*16。ザイオーンは蓬から一瞬支配を受けて硬直した後、真の姿に変化する。その際も虹彩は青のままであり、赤い輝きを帯びるようなことはなく、どの怪獣使いからの支配も受けていなかった。シズムは一部始終を目撃して蓬が怪獣使いの資質を持っていることに気がついた)、国に仕えていた頃からの衣装をお揃いで着ていたり(ガウマは仲間を裏切った時からあの衣装を着ていない)、シズム以外はなんだかんだ人間社会への未練があったり、シズムも怪獣による自由至上主義者だけど仲間たちのことはなんだかんだ気にかけていたり、蓬と夢芽の情動に興味を持ったり接近してみたり。
シズムは怪獣のもたらす無秩序ならばたとえ破壊や人の死でも肯定する。ダイナゼノンの怪獣は街の人々の感情から生まれる存在であり(グリッドマンの怪獣はアカネ一人もしくはアンチくん一人の情動から生まれている。ダイナゼノンでもゴルドバーンはちせ一人の感情から生まれている)、怪獣の声が聞こえるシズムは怪獣の自由にさせることが街の人々を理による束縛から解放することだと考えているからだ。ダイナゼノンでは人の理と同様のニュアンスでルールという言葉も盛んに用いられ、ルールとは英語で人工的な規則のみならず専制的な支配も意味する。
シズムはそうした根本的な問題があるとはいえ、本人は基本的には悪いことをしたり汚い手を使ったりしていないつもりのキャラだ。雨宮監督も「基本的に嘘はつかないキャラクターです」*17と言及している。判断をする前に怪獣と繋がって人の理を外れ、常々人を知ろうとしているのに掴めず、「それはとても哀しい話で、シズムは最初から考えを固めたうえでラスボスムーブをしていたわけではないんです」*18という。坂本勝さんも、当初は既存のキャラのイメージに引っ張られてついミステリアスな微笑を浮かべさせそうになったが、「雨宮さんが言うには、『何か策略があるキャラなら笑っていていいんだけど、シズムに関しては特に企みがあるわけではない』とのことで、意味もなく笑ったりせず、ただスンとしている方向にシフトしました」*19と語っている。シズムは蓬と怪獣使いの素質などの天賦は限りなく近いが、成長過程の違いで怪獣や他人の捉え方が正反対になっているというのがストーリー上の立ち位置だ。ちなみに蓬の父親(ボイスドラマのみに登場)の声優はシズムの声優と同じ内山昂輝さん。
シズムはぱっと見の印象やストーリー上の立ち位置が「シンジの裏返し」と位置付けられていたエヴァのカヲルと似ている。ただ性格は綾波ガンダムララァのほうが近いように思える。そして外見と序盤の印象が綾波系だったムジナの本来の性格は、まだアスカのほうが通じるものがありそうだ。
キャラの属性的には、シズムが神がかりの巫子、ジュウガが教祖、オニジャとムジナが一般信徒、みたいな組織になっていたらもっとシステマチックにやれただろう。でも実際の4人は良くも悪くも上下関係がないし、良くも悪くも自由主義だ。リーダーだったろうガウマが抜けた後はそういう仲間として落ち着いた。一見司令塔のようなジュウガも他のメンバーから特段そう扱われていない。むしろ駑馬十駕(才能のない者も努力すれば才能ある者に並ぶことができる)という言葉の通りに、一生懸命さは伝わるものの、枠に囚われた思考をしがちで本質的に怪獣使いの適性に欠ける様子や空回りぶりが目立っている。たぶんボイスドラマの第9+1話も本人は騙しているつもりがなく、お勉強はできるにしても、本気でバカなんだと思う(というかジュウガも自分が勧誘された時の説明を信じて他の人に広めようとしているようだ。確かにジュウガは第一印象が理知的で弁舌爽やかなイケメンだから買い手がいるんだろうが、大多数の人間にはほぼ無理だということが想像できていない)。このボイスドラマでのジュウガの姿勢は怪獣優生思想に対する姿勢にもそのまま当てはまっている。ジュウガは怪獣のためにと言ってもっともらしい言葉を繰り返し、怪獣を操って街に被害を出し、仲間を増やそうとガウマや蓬たちに声をかけたりもする。だが怪獣のために、とは具体的にどういうことなのかと尋ねたとしても、何ひとつまともに答えられはしないだろう。それらしいことは盛んに口にするが、ただそれらしいだけでまったく中身がない。ジュウガにとって怪獣優生思想という大義は目的ではなく、考えるべきことから考えをそらすためのお題目に過ぎない。怪獣使いは「国に仕え、人に仕える立派な仕事」だと信じてきたジュウガは、それらから裏切られた後、怪獣に縋った。国が自分を始末するつもりだと知っていても姫のために国を守ったガウマのようにはなれなかった。あるいはガウマだけでも命が保証されていたらジュウガは投降できたのかもしれない。しかしそうはならなかった。むしろ姫とガウマの接近が国の上層部の不興を買ったという邪推さえ成り立つ*20。ジュウガは怪獣優生思想に入れ込み、ガウマと対立するまでに至った。殺されて生き返った後も再び怪獣と繋がった。それでも第11話でガウマが見逃した後(単純な殴り合いなら公式設定で腕っぷしの弱いガウマよりはジュウガのほうがまだ強いはずだが、ガウマはダイナダイバーなどを所持している。ジュウガはガウマの甘さをわかった上で会いに行ったのだろう。だが、もし殺されてもそれはそれで良かったはずだ。昔から叱る時もじゃれる時も後輩の自分を酷く叩いたりはしなかったガウマの甘さと弱さ、そしてそんなガウマと決別しなければならないことをジュウガは再確認し、悲しくなりながらその場を去った)、もし怪獣に縋るのを辞められていたら生きる道もあったのだろう。しかし結局は考えを変えられないまま怪獣の一部になり、ガウマもかつての仲間を再び殺さざるを得なくなる。そんなジュウガだが、ガウマのことは自分に都合のいい幻想のガウマでなく、一方的で過分な憧れ交じりとはいえガウマという人間のことが好きだったんだと思う。裏切られたのに前よりガウマのことが好きだという。怪獣使いの仲間でガウマを囲むのは好きだし、怪獣使いになるかもしれない蓬たちがガウマとロボで合体していても気にならないが、明らかに自分たちと異質なナイトくんがガウマに絡んでいると不機嫌になる、というラインもわかりやすい(黒スーツを着て、ダークスーツのナイトくんや黒スーツの新世紀中学生たちや大将であるグリッドマンとよろしくやっている現状のレックスを知ったら愕然としそうではある)。怪獣使いに好意的だった姫にはおそらく敵意を持たなかっただろう。ジュウガは構想段階のアダザクラ*21という名前も綺麗にはまっている。
怪獣優生思想は電波、バカ、バカ、自分の考えがない、という救いようのない4人で構成されている。それでも国から裏切られる前は、ガウマというリーダーもいて、エースチームの5人で花形をやれていたのだろうが。
チーム内のポジションとしては、ガウマ隊とガウマがいた頃の怪獣使いたちなら、リーダを慕う若手である蓬とジュウガ、最年少でおミソのちせとシズム、が比較的対応している。蓬とジュウガは序盤で会話しており、ちせとシズムも超全集収録の雨宮監督が監修した短編小説で会話しているので、接点もなくはない。第3話の会話では「一番話ができなさそうなジュウガが一番常識がありそうな蓬と絡む」*22ことによるディスコミュニケーションを表現したかったという通り、ジュウガと蓬にはそれなりに対比を見いだせる。ジュウガは自分の思い込んだ大義という殻を自覚せず、適性に欠けるのに怪獣使いになって周りに追いつこうとしているのに対し、蓬はいい意味で常識も柔軟性もあり、怪獣使いの資質があるのに周りの人々と共にただの人間として生きていこうとしている。ちせとシズムは超全集掲載の短編小説で2人の怪獣に対するスタンスの対照性がフィーチャーされている。ただ夢芽とムジナならまだしも、オニジャと暦に何ら通じるものがあるとは思えないので、チーム内のポジションの対応は制作上さほど意識されていない部分だろう。
第10話でムジナは怪獣ガルニクスによりガウマが囚われるのと同一の時空に囚われる。ムジナが消える直前に垣間見た光景に、ガウマが自分の服に驚いているカットをそのまま使うことは絵コンテの段階から指示が入っている*23。つまりムジナの見た可能性の過去では5000年前の姿をしたガウマに現在のガウマの意識が入っており、その上、ガウマが囚われるのはムジナが囚われた後なので時間軸さえ捻れていた。ジュウガ、オニジャもムジナと同じくガウマと可能性の過去を共有していたはずだ。ガウマ、ムジナ、ジュウガ、オニジャの4人は、実は現在の意識が過去の本人になりきりながら一堂に会していた可能性がある。第9.9回のボイスドラマを参考にするなら、おそらく暦の可能性の過去における稲本さんにも現在の本人の意識が入っていた。香乃もあの空間でのラストシーンなど単なる夢芽の記憶の再構成ではない描写が多々あり、魂の再会といった類の、怪獣という混沌の中だからこその奇跡が起きていたと考えていいようだ。この3組の人間関係、向かい合うべき過去の表現はオープニングのカットにも取り入れられている。サビ手前の連続する4人のカットで、蓬のみが現在の破壊された街を背負っている。
この第10話には「死」と「帰りたい過去」というダイナゼノンのテーマが凝縮されている。ダイナゼノンは蘇ったばかりのガウマがある鳥の声を聞くシーンから本編が始まり、ある鳥の声を聞きながら人としての生を終えるシーンで本編が幕を閉じる。その鳥がホトトギスであることは絵コンテで指定されている*24*25*26*27。また物語の主要な舞台であるフジヨキ台(不如帰・ふじょき)、夢芽の姉が亡くなったシデノタオサ水門(死出の田長)、ちせが不登校になっているアヤメ中学校(あやめ鳥)などなど、作中の地名のほとんどがホトトギスの異名から取られている。ホトトギスは「鳴いて血を吐くホトトギス」として知られるように美しい声の反面死のイメージが強い鳥だ。古蜀の皇帝だった杜宇は国に帰れぬまま亡くなり、ホトトギスと化して「不如帰去」と啼いたとされる。「不如帰去」とは中国語でのホトトギスの鳴き声の聞きなしであり、「帰りたい」という意味だ。
また、作画的には負担の大きい動作であるものの、テーマ上、キャラクターが振り返る芝居を多用したという*28*29
シズムだけは時間や空間が怪獣に飲み込まれて混沌となった第10話の状態こそが理想で、帰りたい過去はなかったはずだ。ボイスドラマの内容からするとシズムは5000年前の姫の視察の日には既に怪獣との繋がりが強くなりすぎていた。飲食をしなくなってムジナに心配され、国家繁栄の意義を理解する一方で自由を望む気持ちも強くなっていた。ガウマの囚われた可能性の過去において、シズムはかろうじて存在が確認できる程度の影の薄さだった。それは当時のガウマがシズムに関心を持っていなかったためではなく、現在のシズムが当時に執着していないためだろう。また、蓬が取り戻そうとした「今」にも、シズムは価値を感じていない。ただシズムには自分と同じ視点を持てる人間を欲しがっていた節や、そうした相手として蓬には期待していた節がある。
第10話で1人だけ死体の描写がないのでシズムは5000年前に死んでいなかったという説がある。状況証拠からすると第1話冒頭で怪獣の種を撒いていた人物はおそらくシズムであり、他の怪獣使いたちが怪獣の出現により生き返ったと思われるのにそれ以前から行動していた可能性がある、という事情もある。だが第11話で「俺たちは世の中の理に反して怪獣の力で生き返った」と自ら語っている。シズムは自分の考えを黙っていたり相手の勘違いをわかっていて放置することはあるが、自分から嘘をつくことは基本的にない。だからシズムとしては自分も5000年前に死に、怪獣の力で現代に生き返ったという認識のようだ。おそらくシズムにとってガウマに殺されたことに思うところはないのだろう。ただ、他の3人の前に殺されていた可能性や、仕留めたのがガウマでない可能性ならなくはない。また、怪獣との繋がりが強いシズムはかすかなきっかけに敏感に反応して他の4人より早く生き返っていた、という邪推もできなくはない。きっかけとしては、例えば他のバースでガウマのミイラが怪獣の力で生き返り再び死んだ際(電光超人グリッドマン第18話)の情報がこの世界にも混入していること、などが考えられる。ガウマはなぜかこの際の記憶をわずかに持っている。ガウマと違い、怪獣優生思想の4人は大陸から日本に運ばれたミイラが蘇ったわけではなさそうだが、この4人も大陸でなく日本で蘇っている。それは電光超人グリッドマンの日本での出来事がダイナゼノンでの怪獣使い復活の発端となったからなのかもしれない。ただこうした部分を真面目に考えすぎると、5000年前の大陸出身の怪獣使いたちがなんで日本語名で日本語しゃべってるんだとかのスーパー系のお約束に抵触しかねなくなるから、お約束のラインはちゃんと意識しておかないと。
シズムというかダイナゼノンでは自由=解放・無秩序というニュアンスが強い。ただ自由論には色々な立場がある。ダイナゼノンのような論点なら、自由・解放・混沌・感情と不自由・束縛・秩序・理は片方のみでは不完全で、両者のバランスを保とう、という答えが当然の帰結となる。ダイナゼノンは基本的に秩序サイドに立つ主人公たちが秩序を守る話だ。だがそのために狭い意味でのルール破りをしており、主人公たちの選択の根本には繋がりを愛する感情があり、混沌のもたらす奇跡や戦いによって主人公たちさえ救われている矛盾や、自分たちの秩序を守るために切り捨てなくてはならない者たちがいる痛みも漏れなくストーリーに織り込まれている。夢芽もそれまでの秩序に混沌が入り込んでからの日々のことを非日常というよりはむしろ「普通なこと」をした日々だと捉えている。暦が引きこもり気味の無職という現状の維持を辞められたのも怪獣によりそれまでの秩序が破壊されたためといえる。ダイナゼノンでは怪獣被害を災害になぞらえて描写しているシーンが多々あり、皮肉な話ではあるが、現実においても阪神淡路大震災東日本大震災の後にはそれを契機に引きこもりを脱却できた人々が少なからずいたことが報告されている。
ただ、現実における自由論では自由至上主義が無秩序や弱肉強食や利己主義を意味しているとは限らない。自由という言葉の定義にも立場によって違いがあるからだ。理と感情、秩序と混沌が対立概念であることは間違いないが、無秩序な感情の発露の結果大多数の人間が損害を受ける状態を自由と呼ぶのかは意見が分かれる。人間の中で支配者(ruler)と被支配者(ruled)に分かれてしまう状態も必ずしも自由とは呼べない(だからこそ怪獣優生思想は人間が人間を支配する世界ではなく怪獣が全てに優越する世界を作ろうとしているとも言える)。個人的には、自由=解放ではなく、解放は自由の必要条件だが十分条件ではなく、公的空間で個人が個人として尊重されつつ活動できることが自由で、自由の創設のためには各人の統治への参加や法の支配が必要だとするハンナ・アーレントの自由論に正しさを感じる。ハンナ・アーレントは自然状態の人間には自由も平等もなく、それらは政治によって作り出されるとする立場だ。左右の全体主義を批判し自由主義を擁護する政治哲学者であり、現在の自由主義(いわゆるリベラル。より細かく分類するならソーシャル・リベラリズムやニュー・リベラリズムネオリベラリズムではない)の潮流に大きく影響を与えた思想家の一人だが、全体主義批判のために極端な意見を唱え過ぎだという評価もある。政治の役割はあくまで自由の創設であり同情を動機に社会問題の解決を図ろうとするべきでないという見解や、生命を維持するための営みである労働を低く評価して他者との共同行為や言葉を用いたコミュニケーションである活動を高く評価する見解は、あくまで全体主義批判という文脈的の中で読む必要がある。これらの意見には正しさもあるが、正しすぎて残酷だし、机上の空論になりかねない部分もあると感じる。またリバタリアンアナーキストは真に独立した人間同士による友愛という表現をしばしば好むが、いかにすれば単なるスローガンに終わらずにそれを実現できるのか、という具体的な方法を答えられる人間は存在しない。

*1:『宇宙船別冊 SSSS.DYNAZENON』、ホビージャパン、2021年10月、75頁。

*2:Megami Magazine』2023年5月号、Gakken、2023年3月、29頁。

*3:第10話でガウマの見ていた可能性の過去の様子からだけだと実際の過去で何が起きたのか断定しきれない部分がある。だが怪獣を倒した後で「……昔、ガウマさんは仕えていた国に裏切られたんですよね」と尋ねる蓬にガウマは辛い過去を蒸し返すつもりがないというニュアンスで「覚えてねえわ。そんな昔のこと」と答えている。ガウマや仲間たちが尽くした国から裏切られたことは間違いない。第10話のラストカットが雨に打たれるガウマの死体なのは、蓬が迎えに来なかった実際の過去ではあのままガウマが死亡したことを強調する意図がある(『SSSS.DYNAZENON STORYBOARD BOOK 10』)。実際の過去でも蓬が見たものとほぼ同様の怪獣優生思想とのやり取りがあったということだろう。また、第3話前半で蓬から「じゃあ、あの人たちから……人を守るために、裏切ったんですか?」と聞かれた際、ガウマは答えを濁していた。自分がそういった一面的な綺麗事のためだけに仲間を裏切って殺し、現在も戦おうとしているわけではないことをガウマ自身誰よりもわかっていた。第3話後半で改めて戦う理由を蓬に問われ、ガウマは会いたい女性がいるからだと告白した。ガウマの本心を聞き、蓬・夢芽・暦の3人は共に戦う決意をした。ガウマたちの過去に触れたことや、第8話での怪獣ザイオーンの件もあり、蓬は自分たちが善で怪獣使いたちが悪だから戦っているのではないという当たり前のことを実感する。しかし自分たちの今や大切な人を守るためにはそれをわかっていても避けられない戦いがある。

*4:解釈の余地がある文章であるため以下に原文を引用する。「怪獣は人間同士のコミュニケーションを媒質としている。『心』を3次元上に可視化したもの。現在から2万年先の技術レベルであり、なぜ過去にあったのか明らかにされていない。(感情を兵器としていた時代があった??)」。この解説は現代を時間軸の基準にして書かれている。つまり、現代から5000年前には、現代から2万年先のレベルの技術を持つ国がなぜか存在し、その技術に基づいて感情を兵器としていた時代があった、という意味であるはずだ。なぜ5000年前の中国周辺(ガウマのミイラはネパールとの国境付近にある中国の氷河から発見されたと夢芽と蓬の見ていたサイトに書かれている)に超古代文明が存在したのかを作中の描写から推察することはできない。ブルーレイ第1巻特典ブックレットによれば構想初期にはガウマが宇宙人だという設定があったそうだが没になっている。超全集には時空や生死を超越したシズムが2万年先の未来から怪獣の種を調達してきたのかもしれないという編集部による推測が書かれているが、怪獣の種のみが時間移動によりもたらされたと考えるなら姫が5000年前にガウマに託したダイナゼノンの出所が不明になる。シズムが姫に渡したと考えるなら動機が不明だ。またシズムは元々自国に存在していた怪獣と繋がりすぎて人の理を外れてしまったのであり、人の理を外れていたシズムが古代の国にやってきて怪獣の技術をもたらしたわけではない。シズムが人の理から大きく外れだしたのはボイスドラマ第10.01回を参考にするなら姫の視察の前後であるはずで、心配するムジナの様子からすればそれ以前は普通の人間らしく生活していたのだろう。実はシズムは怪獣と繋がることにより時間移動能力を得ており、その力によって2万5千年先の未来へ飛んでその時代で発明された大量の怪獣の種とダイナゼノンを調達し、自分が怪獣と繋がる以前の過去に飛んで自分が将来繋がるものも含めた怪獣の種の大半をばら撒き、姫にダイナゼノンを渡し、さらに5千年先の未来へ飛んで残った怪獣の種を撒いて第1話に至る、という流れも考えられなくもないが、行動原理が完全に意味不明になる。第一、シズムは短距離の空間移動なら可能だし、何らかの作用で別のバースを垣間見たこともあるようだが(ガウマが電光超人グリッドマン第18話のミイラの記憶を一部持っているのと同様の作用?)、自力で時間移動をしている描写は全く存在しない。もしシズムが自分の意志で時間移動が可能なら、5千年前にガウマに敗れることも、現代でガウマや蓬たちに敗れることもあり得ない。最終回の「君も怪獣使いになれる可能性があったのに惜しいことをした」のシーンは蓬が怪獣ガギュラにインスタンス・ドミネーションをかけた際に実はしていた会話の回想であり、現在のシズムが現在の蓬にテレパシーをしているのではない。シズムは自身に人の理を超えさせていた怪獣ガギュラごと蓬たちに、雨宮監督の表現(ブルーレイ第4巻特典ブックレット)を借りるなら「焼き殺」され、死んでいる。

*5:『てれびくんデラックス愛蔵版 SSSS.DYNAZENON超全集』、小学館、2022年4月、91頁。

*6:『宇宙船別冊 SSSS.DYNAZENON』、ホビージャパン、2021年10月、75頁。

*7:『グリッドマン ユニバース』公開記念 監督・雨宮哲×キャラクターデザイン・坂本勝スペシャル対談② | Febri”、一迅社、2023年4月10日

*8:第11話での「ガウマが怪獣使いでなくなり、人に戻った理由がわかった。今の君たちと同じなんだ」というシズムの発言について。雨宮監督は度々怪獣優生思想と恋愛は相反する概念だと語っている。怪獣優生思想は怪獣による破壊や混沌を最優先する思想であり、恋愛は私情や人間臭さの最上位に位置付けられる感情であると同時に、愛した相手を守りたいという感情でもある。シズムは恋愛感情を抱きあっている蓬と夢芽を観察することで、かつてガウマが自らの命を捨ててでも怪獣優生思想を裏切ったのは姫と愛し合ったからだと気がついた。また、恋愛に限らず怪獣以上にときめく対象を持っている者は怪獣使いに向いていないようだ。ジュウガは、怪獣使いとは「国に仕え、人に仕える」ために怪獣を「使う」仕事だと認識してガウマを慕っていた頃、怪獣使いとしての技術の低さを仲間たちから指摘されていた。怪獣を使うのでなく怪獣を最優先にする怪獣優生思想となった後も、実のところそうできていたとは言い難く、しばしば眠り込んでしまうなどやはり本当の怪獣使いらしい振る舞いができなかった。現代でも、シズムを信頼していたが、シズムからは期待されていなかった(『SSSS.DYNAZENON STORYBOARD BOOK 7』)。もっとも、恋愛感情を持つ人間だからといって怪獣使いの能力を持てないわけではない。ガウマは5000年前にオニジャの操る怪獣を倒す際、自らも怪獣を操っている(『SSSS.DYNAZENON STORYBOARD BOOK 10』)。また蓬は第12話や映画グリッドマンユニバースでインスタンス・ドミネーションを使用している。怪獣を重んじる気持ちは怪獣使いの能力を高めるのだろうし、蘇った後のガウマが怪獣をうまく操れなくなった理由の一端はそうした気持ちを失ったことにあるだろう。だがそれがすべてではない。まず、資質はあるにしろ怪獣使いとは訓練すればみんななれるもので、蓬は結構資質があったのだと、雨宮監督や坂本さんたちが座談会で語っている(ブルーレイ第3巻特典ブックレット)。蓬は怪獣を重んじる気持ちがなく訓練もしていないが、資質だけで怪獣ザイオーンの支配に成功した。ガウマがザイオーンの支配に失敗したのは支配も訓練も長期間怠っていたという要因もあったのかもしれない。第1話で怪獣シャルバンデスを掴むのに失敗したのは、すでにオニジャに掴まれていた怪獣だったから、という理由も大きいはずだ。怪獣は第6・7話のブルバインのような例外を除き、基本的には1人で操作するものだ。もしかしたらあの時のガウマの力がオニジャに匹敵していれば支配に介入できたのかもしれないが、すでにそこまでの強さはなかった。だがもしガウマが姫の教えよりも自分の命を優先できていれば、当時の肉体の状態からでも怪獣使いに戻ることはできたはずだ。第11話でシズムは怪獣を失ったジュウガ・オニジャ・ムジナの3人を見て「やっぱり、怪獣使いは怪獣を失うと人間に戻ってしまうのか… …今のガウマみたいに」と呟いた。そして衰弱したガウマと再会した際、怪獣の力で蘇った後に人に戻っていたガウマはまた死ぬが、怪獣と繋がっていた自分たちは違う、と告げ、「教えていたら怪獣優生思想になっていたのか?」と問いかけた。ガウマは苦笑しつつ「…バカでもわかることを聞くんじゃねえよ…」と答えた。これは怪獣使いになることは肉体的には不可能ではなかったが、信念の問題でそれを選ぶことはあり得なかった、という意味合いの会話だ。なお、本当の怪獣優生思想の持ち主であるアカネは怪獣を制御する力であるインスタンス・ドミネーションを使わない。だが映画では友達を助けるためにあえて邪道な手を使ったと雨宮監督が言及している。おそらくインスタンス・ドミネーション、つまり怪獣や混沌の力の制御法自体は以前アレクシス・ケリヴから教わっていたのだろう

*9:『SSSS.DYNAZENON SPECIAL NOTE VOL.1』(映像ソフト『SSSS. DYNAZENON 1』特典ブックレット)、ポニーキャニオン、2021年6月、177頁。

*10:『グリッドマン ユニバース』公開記念 監督・雨宮哲×キャラクターデザイン・坂本勝スペシャル対談② | Febri”、一迅社、2023年4月10日

*11:『宇宙船別冊 SSSS.DYNAZENON』、ホビージャパン、2021年10月、74頁。

*12:『てれびくんデラックス愛蔵版 SSSS.DYNAZENON超全集』、小学館、2022年4月、20、55頁。

*13:『ダイナゼノン キャラクターコンセプトデザイン集』(『てれびくんデラックス愛蔵版 SSSS.DYNAZENON超全集』分冊)、小学館、2022年4月、74頁。

*14:『SSSS.DYNAZENON SPECIAL NOTE VOL.2』(映像ソフト『SSSS. DYNAZENON 2』特典ブックレット)、ポニーキャニオン、2021年7月、42頁。

*15:『SSSS.DYNAZENON SPECIAL NOTE VOL.4』(映像ソフト『SSSS. DYNAZENON 4』特典ブックレット)、ポニーキャニオン、2021年10月、166-167頁。

*16:『SSSS.DYNAZENON SPECIAL NOTE VOL.3』(映像ソフト『SSSS. DYNAZENON 3』特典ブックレット)、ポニーキャニオン、2021年9月、31頁。

*17:『SSSS.DYNAZENON SPECIAL NOTE VOL.2』(映像ソフト『SSSS. DYNAZENON 2』特典ブックレット)、ポニーキャニオン、2021年7月、43頁。

*18:『宇宙船別冊 SSSS.DYNAZENON』、ホビージャパン、2021年10月、75頁。

*19:『宇宙船別冊 SSSS.DYNAZENON』、ホビージャパン、2021年10月、79頁。

*20:電光超人グリッドマン』第18話「竜の伝説」では「竜を飼っていた一族」にまつわる伝説が語られている。曰く、「竜を操ることのできる青年がお姫様のために戦い、そのお姫様と一緒になることを約束して、国を守ったの。ところが王族の人たちが竜を操る青年のことを恐れるようになってしまい、お姫様には内緒で毒殺してしまったというの」「何も知らないお姫様は竜の副葬品を棺に入れると後を追うように自殺してしまったの」。『SSSS.DYNAZENON』のボイスドラマ第10.01話「怪獣使いとして」では5000年前の怪獣使いたち5人が、怪獣使いは仕事であって一族ではないのによその国からは竜を操る一族として恐れられているらしい、という内容の会話をしている。実際の過去、当時の噂、現代に残る伝説、の間にはそれなりの乖離があるようだ

*21:『ダイナゼノン キャラクターコンセプトデザイン集』(『てれびくんデラックス愛蔵版 SSSS.DYNAZENON超全集』分冊)、小学館、2022年4月、3頁。

*22:『SSSS.DYNAZENON SPECIAL NOTE VOL.1』(映像ソフト『SSSS. DYNAZENON 1』特典ブックレット)、ポニーキャニオン、2021年6月、158-159頁。

*23:『SSSS.DYNAZENON STORYBOARD BOOK 10』、Trigger、2021年7月、12頁。

*24:『SSSS.DYNAZENON SPECIAL NOTE VOL.1』(映像ソフト『SSSS. DYNAZENON 1』特典ブックレット)、ポニーキャニオン、2021年6月、29頁。

*25:『SSSS.DYNAZENON SPECIAL NOTE VOL.4』(映像ソフト『SSSS. DYNAZENON 4』特典ブックレット)、ポニーキャニオン、2021年10月、114頁。

*26:『SSSS.DYNAZENON STORYBOARD BOOK 1』、Trigger、2021年7月、31頁。

*27:『SSSS.DYNAZENON STORYBOARD BOOK 12』、Trigger、2021年7月、110頁。

*28:『宇宙船別冊 SSSS.DYNAZENON』、ホビージャパン、2021年10月、79頁。

*29:『SSSS.DYNAZENON STORYBOARD BOOK 1』、Trigger、2021年7月、2頁。