前に書いた部分の再確認。西暦525年の真相を三眼が語ったとき、日本語版ではなぜがみんな頭から信じ込んでいるけど、中国版では普通にほとんどの人間が戸惑って信じきれずにいる。
さらに西暦1906年の真実を三眼が語り、借りは必ず返すのが自分のモットーだと言って白小小に復讐を促したとき、
日本語版だと白小小は以下のように独白した。
「父さん… なんで嘘ついたの」
「私たちを守れると思ったんでしょうけど…」
「その願いは叶わなかったんだよ…」
中文版だと以下のように独白した。
「爹爹那时为何要说谎?」
「因为他觉得可以保住我和娘。」
「可那只是一厢情愿。」
「お父さんはあの時どうして嘘をつかなきゃならなかったの?」
「私とお母さんを守れると思ったからよ。」
「でもそれはただの独り合点だった。」
日本語版だと自問に対して一応自答しているけど確信が持てず、自問が続いている印象。
中文版だと自問に対して確信をもって自答している。父親が私に嘘をついて生贄になったのは私たちを守れるはずだと思ったからなのに、村長は母も生贄にして私まで生贄にしようとした、という怒りが滲んでいる。怒りを無理矢理自分に飲み込ませていた大義名分である千年前の「借り」、それ実は間違いだったかもしれないと知り、抑え込んでいた感情が溢れそうになっている。
日本語版だと、三眼の語った525年の真相を誰も疑っておらず、白小小の自問が続いているように見えるので、白小小が知りたかったことは父親が嘘をついた動機であるように読める。
中文版だと、三眼の語った525年の真相を多くの人間が疑い、白小小の自問にはすぐに自答が返されているので、白小小が知りたかったことは三眼の語った525年の真相が本当かどうかということであるように読める。
この独白の後、白小小は三眼から記憶を授かり真実を知ることに同意する。ここで次回に続くとなる。
次の回の冒頭は、家の中で父親が生贄になるしかないと母親に語り、それを家の外から白小小が眺めている場面である。
日本語版だと、白小小は父親が嘘をついた動機を知りたがっていたように見えたので、この場面が三眼から与えられた記憶であるように読める。他人の記憶を覗きながらも、覗いている当人もその場面に居合わせているように描かれる、というのはよくある演出だ。しかしそうすると、三眼は父親の記憶を捕食時に受け継いだにも関わらず、その後に母親を食べ、さらに白小小まで食べようとしたことになってしまう。白小小の捕食を高皓光が止めたのは三眼にとって完全に予測不能な出来事でしかない。
中文版だと、両親を見殺しにさせられた怒りを再確認した白小小は西暦525年の真実を知りたくなった、という描写になっている。だから冒頭の過去は白小小本人の回想であり、西暦525年の真相を知りたい理由である「千年の借り」を押し付けられた過去を改めて思い返している、と読める。
ちなみに回想での父親のセリフは日本語版だと
「俺が生贄になればお前と小小には手を出さないって約束だ」
中文版だと
「不过我这一去,他们也不会为难你和小小了,」
「しかし俺が行けば、彼らだってお前と小小を苦しめたりはしないはずだ、」
日本語版だと父親は村長との間に妻と娘には手を出さないという約束を結んだことになっている。
中文版では妻子を守れるというのは独り合点であり、村長と約束は結んでいないので、あくまで希望的予想でしかない。ただしこの独り合点は抱いて当然の希望である。
またこの後に続く白小小の独白は日本語版だと
「お父さん…」
「大屍仙さまの神通力のおかげで私に流れ込んできた白大さんの記憶…」
となっており、「お父さん…」で一旦文が完全に切れているようにも読める。だから三眼から与えられた父親の記憶に感じ入って「お父さん…」と独白し、新たに与えられた2つ目の記憶である白大の記憶に「大屍仙さまの(中略)の記憶…」と感じたようにも読める。
中文版では
「爹爹啊,」
「这涅槃尸给女儿的神通也承载了他的记忆。」
「お父さん、」
「この法屍者が娘に与えた神通も彼の記憶を運んできたよ。」
と明確に一文であることがわかる。「お父さん、」は西暦525年の真実を知ったことを父親に呼びかけている部分。

メモに投稿予定だった文章を間違えて本ブログに投稿してしまっていたのに今更気がついた。移動した。


黒山村のエピソードがわかりにくいのは要素が多いせいでもある。千年間ホラーな童謡が伝承されている、現在アンデッドモンスターに生贄を捧げている、千年間村の成員は大して変化していないらしい、と要素が揃うと千年間アンデッドモンスターを崇拝して生贄を捧げている村かと勘違いしそうになるけど実際は全くそういう話ではない。
まず伝承は一応伝承されていても実感のない怪談になっていた。村の危機で生贄選びのため口実として蒸し返されるまでは気にする人はあまりいなかった。
生贄を捧げたのは一年前に突然現れて無差別に人間を食い出したアンデッドモンスターに対処するため。日本語だと紛らわしいけど、村人がアンデッドモンスターの復活に手を貸した訳でもない。そもそも村人は千年前にアンデッドモンスターが現れていたことを知らず、そのアンデッドモンスターが今いる個体と同じものだということなんて知りようもなかった。
千年間成員が大して変化していない村というのは現実に即して考えるとあまりにも特殊。山の中ではあるけど近くに徐州府もあり秘境中の秘境という訳ではない。こうなると特殊な因習のために周囲とは全く交流のない隠れ里なのかと思ってしまうけど、どうもアンデッドモンスター出現以前はごく普通の村だったらしい。隣村との交流も一応あったらしい。こうなると作中現実に沿った理由があると考えるよりメタ的な理由でそう設定されたと考えた方が良さそうだ。たぶん西暦525年から西暦1906年にかけて中国は何も変わらなかった、不屍王への対策も何も進まなかった、という点を強調するために黒山村も非現実的なまでに何も変わっていないんだと思う。黒山村のエピソードの結論としては、中国を変えるのは欧米の科学技術で、不屍王に立ち向かえるのは高皓光だということになっている。それで納得できるのかは別として。

黒山村のパートは筋書きのために流れが無理矢理になっている部分が多くてどこからかどこまでをまともに捉えていいのかよくわからない。
三眼が村人全員の命を人質にして生贄を要求してきたと村長が嘘をついたことには意味がある。そうしないとヤケになった生贄が村長に最後っ屁をかまそうとするかもしれないし、閉鎖状態で他の村人の不満が溜まっていった時に責任者の村長が槍玉に挙げられて吊るしあげられてしまうことが十分に予想できる。白小小の父親を説得するときに家族の安全を保証すると嘘をついたのも生贄にしやすくするという意味がある。生贄は捧げる時まで生きていなければ意味がないので、村に不満を持たれて生贄にされるくらいなら自殺して村に迷惑をかけてやると思われてしまえばお終いだ。どちらも畏怖や憎悪を三眼に集中させて、自分が村を円滑に運営できるようにするための嘘だ。
一方で村長と高皓光との口論では村長と高皓光・黄二果・白小小の4人の関係だけを見るなら村長に嘘をつく意味がない。むしろ陳腐にはなるけど、縛り上げて後は生贄に差し出すだけの3人に対して、冥土の土産に真実を教えてやろうと今までの嘘を暴露しても良かったくらいだ。口論の時に言った内容が、解釈はともかく事実まで嘘だったら、あそこまで必死に正当性を主張する意味がない。解釈なら自分をごまかせても事実では自分を誤魔化せない。
実際、村長の発言内容とその後に三眼が暴露した事実は一致する部分が多い。少なくとも、3つの村が三眼に生贄を捧げていて生きて逃げられた者は誰もいないという部分は嘘ではないだろう。
ただし村を守るために必要なことだという解釈は自己正当化の度合いが強い。実際の動機は三眼が語ったとおりに自分の家族の安全を守るために生贄を差し出すと約束したというものだったはずだ。村を守るために、というのは生贄を差し出すために後ろ盾として村全体を巻き込む必要があったことへの言い訳だろう。村長は実際の経緯を三眼に暴露された直後に動揺している。もちろん話題の中心になっていた白小小に嘘がバレて気まずかったためだろうけど、村人がみんな真実を知っていたなら高皓光との口論の時点で嘘をつく必要はなかった。家族(だけ)を守るため、という部分は他の村人に対しても内緒にし、自分自身も目をそらそうとしていた事実のようだ。多くの村人は村を守るためには三眼へ白家を生贄として捧げるしかないという大義名分を信じていた可能性が高いし、村長が自分から三眼に接触したことを知っていた村人がどれだけいたのかもわからない。それは高皓光の無実の村人もいるかもしれないという疑問と一致する。
ただし先祖の借りを押し付けられ、それが先に手を出してきたのは実は村人の方だったと知った白小小は、現在の罪の軽重とは無関係に、自分に誤った先祖の借りを押し付けてきた人間全員へ本当の先祖の借りを押し付け返して殺してしまった。
高皓光は先祖の因縁なんてろくでもないものと知っていたはずなのに白小小に気圧されてしまった。

日月同錯は自由意志が大切だと主張している部分と、天・運命は自由意志すら翻弄すると主張している部分があって、一般人はどうすべきなのかよくわからない。運命に翻弄された被害者の代表ということになっているらしい白小小にはどの程度自分自身の意志で決断をする余地があったのか?
とりあえず三真同月令に選ばれた人間は自分の意志で運命に抗う余地があるらしいけど、それ以外の人間はゲームのNPCのような存在でしかないのか?

三眼の知能がラピュタのロボット兵レベルなのか少し抜けてる成人レベルなのか判断しにくい。人格崩壊の結果として幼児並みの知能しか残っていないとするなら悪意はなかったと主張できるかもしれない。

猿の手のような話は、持ち主の願いが紛れもなく叶えられながらも、それがどれだけ歪んだかたちになるかというブラックなウィットが面白さのポイント。原典の猿の手もフォロワー作品もそこは抑えている。
猿の手は人間が運命を曲げようとするとしっぺを食らう、人間は運命に従うべきという教訓のホラー。運命を曲げて得た結果とそれを上回る代償の両方が描写される。そういう教訓を名目にしつつ、予想外の代償をとんちのように楽しむためにも、願った内容は一応叶うというルールは厳しく守られる。願いが全く叶わず不幸な目にだけあうという筋書きだと予想を外しすぎて楽しみにくくなる。
日月同錯は人間は理不尽な運命に抗うべきという話なので、理不尽な運命の一部である三眼は義理堅そうに振る舞っていても、自分の都合で守る約束と破る約束を決めてしまう。すべては三眼の一存で決まるので、予想外以前に予想ができない。おまけに村人から接触しなくても三眼のほうからランダムに村人を食ってくる。理不尽な運命とはそういうものと言われればそうなんだろうけど。
黒山村のエピソードは一見話の筋で予想を裏切って楽しませてくれる話っぽいのに、うまく予想させてうまく裏切ったり応えたりしてくれるポイントがほとんどない。黒山村の住人は見たまんま下品で実は村長が白家を裏切っていたと明かされてもなんの意外性もないし、真相はヒントをもらって予想する前から三眼が喋ってしまうし、三眼は契約よりも自分の贔屓を優先する。
三眼が恩人の子孫を食べてしまった不義理を帳消しにするため、子孫が村人に復讐するように仕向けて力を貸し、安全を守るという村人との契約に大きく違反しないためにも復讐が始まる前に自殺するって部分はナシではない。でも三眼が自分の筋書きを実現するために白小小に無理矢理復讐を押し付けた感があるのは好感が持てない。押し付けられた道が少し違うだけで白小小は生存できたのに。白小小を理不尽な運命の被害者にするために今のストーリーになっているのはわかる。最後の最後で子どもたちを目の前にして目を覚ますというオチをやるために視野狭窄に陥らせているのもわかる。でも筋書きありきすぎて肉付けの不自然さが気になってしまう。
このエピソードでわかりやすくドキッとして楽しめるのはグロだけで、ホラーとしても纏まった筋になっていない。