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今でも本館の方にちょいちょいアクセスがあるから、本館での更新をやめた後で気付いた致命的な複数の誤訳についての記事を作ってないのが申し訳なくなる。こっちではメモ書きレベルだけどその件についての記事をたくさん作っている。知りたかったらキャラ名か作品名(中国語)で検索すれば出てくる。
中国語の原本だって傑作というわけではないけど日本語版はゴミ。9割くらいの言葉はあってるんだけど、一語違いで意味が正反対になるようなのがかなりある。それに自動車が設計図から9割くらいしか再現されてなかったら爆発する。よく誤訳がネタにされる某ナッチやハリーポッターはそれでも商業レベルだけど、どう大目に見ても商業レベルに達していない。
あんなゴミみたいな翻訳をする会社の作品を数年追っかけててもう本館で新しい記事を作るのも馬鹿らしくなってしまったというか。いい経験にはなったけどもうそっちに気力を向けられない。本当はせめて気付いた部分だけでも記事を作ってけじめをつけるべきなんだろうけど。
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現実(現実でない)を見てきた。現実に勝る幻覚などないことがわかった。凄かった。
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エンタメの救出ミッションではタイムリミットが示されていたほうが客観的に応援しやすくなる。即座に助けるべき状況なのか、数ヶ月かけてじっくり取り組むべき作戦なのかでは、見方も見どころも全く変わってくる。映像という時間を扱う媒体で、映画というタイトな尺のフォーマットでは、なおさらに時間の意識は重要だ。
だが天気の子でもすずめの戸締まりでもタイムリミットははっきりしていない。ああいう状況とストーリー展開なら、放置すれば数時間や数日以内に人間の意識が消失してしまうと明示しておくのが普通だ。人らしさを奪われた相手を助ける物語の中には眠れる森の美女のように数年や数百年経過しても人間としての意識を取り戻せる作品もあるため、そちらではないと断っておいたほうが切迫感を客観的に示せる。だが天気の子やすずめの戸締まりでは、具体的なタイムリミットなど知らずともなんの躊躇いもなく相手の元へひた走る主人公の姿を描くことで、主人公の相手を求める気持ちの強さ、ある見方では狂気であり、ある見方では愛であるもののあり方を強調している。そうした愛だからこそ相手を救えるという物語でもある。新海アニメは根本的に客観でなく主観を描く作品だ。