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ママコノシリヌグイというタデ科の植物がある。花はピンク色で可愛い。だが茎はトゲだらけだ。ママコノシリヌグイとは継子の尻拭いで、文字通りに解釈すると児童虐待だ。
洋の東西を問わず昔話の継子は継親から冷遇されるものと決まっている。実際にそうだったのかは置いておいても、そういう扱いをされることがあり得るという認識はあったはずだ。世界で一番有名な継子いじめ譚はシンデレラだろう。ただ、シンデレラって実父も甲斐性なしだよな。
バジーレ『灰だらけのメス猫』と17世紀フランスの妖精をめぐって

ジーレ版のシンデレラ(灰だらけのメス猫、ラ・ガッタ・チェネレントラ)は、家庭教師に唆されて1番目の継母を殺し、その家庭教師を2番目の継母にするというかっ飛ばしてるバージョンだ。ゼヅォッラ(シンデレラに本名が設定されている珍しいバージョン)を裏切って冷遇するようになった2番目の継母や6人の連れ子は特に悲惨な目にあわないのも昔話らしい一貫性のなさだ。1番目の継母を殺して事態が悪化したから反省したと解釈できなくもないけど、昔話の登場人物がそういう思考をするものなんだろうか。

民主的な社会主義はつくれるのか。つくれるとしたら、グローバリズムとは正反対のところにあるとぼくは思います。それは地産地消(地域生産地域消費の略。その土地で生産されたものをその地域で消費すること)です。スローフードスローライフのような波は、くりかえしくりかえし、おこりますけど、そのあらわれなんですよ。
 人間の欲望はコントロールしないといけないんです。人間の欲望を増大していっていいんだという考え方は、地球が有限であるということがわかった瞬間から、変わるはずなんですよ。

宮崎駿監督はあるエッセイで、毛沢東を善人だと思い込もうとしたがやはり悪人だとわかった、と現実に目覚めたようなことを書いておきながら、その後に毛沢東語録を引用して「若いこと、貧乏であること、無名であることは、創造的な仕事をする三つの条件だ。そう言ったのは毛沢東です」とか言い抜けてしまえるところが面白い。失望はしたけど理想にはまだ未練があるんだろう。

2018年の記事。

今年4月5日に亡くなった高畑勲監督(享年82歳)を偲ぶ「高畑勲 お別れの会」が5月15日(火)、東京・三鷹の森ジブリ美術館で行われ、高畑監督の息子である高畑耕介氏が“父”の素顔と思い出を語った。


(中略)



最後に耕介氏は「純粋な好奇心と、日ごろの勉強から得た発見や着想を、実験的なやりかたを交えて、各分野の才能豊かな仲間たちと表現し続けることができた。父は本当に幸せな人間だったと思います」と語り、「父が望むものは、人間が人それぞれの個性と、育てられた社会的、文化的背景をお互いに理解し、尊重する。そして、それらは活かし、助け合い、譲り合って、小さいものや弱いものも安心して、暮らしていける世の中だと思います」と締めくくった。


高畑勲監督も宮崎駿監督も、原始共産制のような小国寡民の共同体を良しとし、大国の全体主義や現代文明の設計主義的合理性には否定的だ。高畑勲監督は『太陽の王子 ホルスの冒険』に、宮崎駿監督は『風の谷のナウシカ』にそれが色濃く表れている。

小国寡民の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典
しょうこく-かみん【小国寡民
国土が小さくて、人口が少ないこと。老子が理想とした国家の姿。▽「寡」は少ない意。
出典『老子ろうし』八〇章

原作ものだが、高畑監督は『火垂るの墓』でも大国を目指し全体主義化した日本という共同体からドロップアウトした兄妹の幸せと、それ故の悲劇を描いている。

マーレ編は、マーレ側に大義があるのはわかったし、ヴィリー・タイバーが人格的には高潔なのはわかったから、だからこそパラディ島をお綺麗な言葉で滅ぼす気なのにムカつくぞって読者が感じたタイミングドンピシャで、エレンがヴィリー・タイバーをぶっ殺すのがうまくできてる。盛り上がる。
もちろんエレンはヴィリー・タイバーにもマーレにもムカついていないしやむなく殺すことに申し訳なく思っている。自由を手に入れるための邪魔者を踏み潰すことにはテンションが上がっても、報復で壁外人類を殺すこと自体にはテンションが上がったりもしないだろう。読者の感情と、マーレ編に入るまではずっと感情移入の対象だったエレンの感情とにズレを作っているのが面白い。

共感できるキャラと共感したいキャラは別だ。進撃の巨人だと、共感できるのはジークとかアニとかイェレナとかだから共感したくない。アルミンやマルロに共感したい。

将太の寿司の武藤鶴栄は悪役として結構好きだ。初登場時はクズだったし、若い頃はともかくある程度年いってからの過去もクズだし、何なら最後までろくでもない。それでもこいつはこいつでいいキャラしてると思える。この手のキャラは途中で変なフォローが入って実は前から悪い人じゃなかったことになりがち。そういうフォローは悪役としての魅力を削いでいる。クズはクズであった過去をありのままに受け入れてそれでも魅力的でなくちゃ。
悪行をしたくせに変に言い訳がましくならなけりゃ、悪人の好敵手化展開や改心展開や仲間入り展開はどちらかというと好きな方だ。