メモ帳用ブログ

色々な雑記。

2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧

公正を悪用する人間がいるから公正はなくすべきだ、のような意見はいかにも二重思考的だ。欺瞞か愚劣か洗脳か。 例えば、コロナの給付金や支援金を悪用する人間がいるからそれらを廃止するべきという意見は正しくない。もし廃止が検討されるとしたらより良い…

まさかとは思うけど、『動物農場』を愚かな動物(=労働者)に対する賢い人間・豚(=資本家)の勝利、みたいな解釈をする人はいるんだろうか。 『動物農場』は、人間(=資本家)は言うまでもなく搾取者だが、革命家も独裁者になれば結局は搾取者になり、非道…

『動物農場』で豚のナポレオンはスターリンを、豚のスノーボールはトロツキーをモチーフにしていると通常解釈される。ナポレオンは言うまでもなく腐敗しきった政治家だ。だがナポレオンと対立し、他種の動物にも比較的思いやりがあり人間と勇敢に戦ったスノ…

事実・データの解釈を巡る議論が巻き起こるのは健全だが、捏造の発覚した事実・データを擁護し続けるのは不健全だ。 トランプ前大統領の顧問であるコンウェイ氏は写真の捏造を指摘された際に「もう一つの事実(オルタナティブ・ファクト)だった」と答えて批…

ジョージ・オーウェルは民主社会主義者として自由と平等、そして誠実さを追い求めた。オーウェルは、ナチスによる虐殺を非難した者がソ連による虐殺を賛美する、もしくはその逆のような欺瞞をことのほか嫌った。また、左派作家にしては珍しく「パトリオティ…

1943年に発表された『スペイン戦争を振り返って』の文章にジョージ・オーウェルの姿勢がよく表れている。 昨今、私たちは物忘れが激しいが、少し振り向いてニュー・マッセズ誌[2]やデイリー・ワーカー紙[3]を掘り返し、私たち左派が当時吐き出していたロマン…

『動物農場』や『1984』の作者であるジョージ・オーウェルは、民主社会主義者だ。民主社会主義者として万人の自由と平等を追い求め、全体主義を批判した。経済の自由放任を擁護する立場からではない。 個人の自由は十九世紀と変わらずにいまだ信じられている…

進撃の巨人で最終回のミカサの「アルミンも… 記憶が戻ったんでしょ? エレンが… 私達に会いに来てた時の」というセリフをそのままの意味で受け取れない人間がいるのは義務教育の敗北だ。 普通に考えればミカサもアルミンと同様、以前に道を通じてエレンが会…

Abeler, Calaki, Andree, & Basek (2010)は、eBayで謝罪の仕方についてつぎのような実験を行った。サービスが悪いことに不満を述べて、低評価をつけた顧客に対し、3つのタイプのメールを送った。① 「配送が遅れ申し訳ございませんでした。私どもの会社への…

疫学の意義。 一方、陸軍軍医首脳 森林太郎(鴎外)は、白米主体である和食の優位性を実験研究によって証明し、高木の説を"統計にもとづく学理なき説"と非難した。陸軍では高木の学説を採用することなく白米食を続け、その後も多くの脚気患者を発生させるこ…

下で引用した庵野監督のネット批判は妥当な内容だ。 インタビュー当時からさらにネットが発展し、ほとんどの人間の生活に欠かせなくなった現在も、「産経新聞と東スポに書いてあることを同じように受け止めてしまう人にはつらいかな、と思いますね」のような…

庵野監督がオタク批判をするのは煙草会社がCMで吸い過ぎにはご注意というようなものなので、誠意でありアリバイ作りでもある。受け手の人生に責任なんて持つつもりはないと責任を持って表明しているというか。風俗やカルトと違って絞りつくそうとしない点は…

風立ちぬで二郎の声優を庵野監督が担当したことの一番の問題点は、庵野監督の歯に衣着せぬ風立ちぬ批評が聞けなくなったところ。流石の庵野監督も自分が主演した映画をバッサリやるほどの人格破綻者ではないので。 庵野監督の宮崎監督オタク目線での宮崎監督…

バクーニンの提唱した集産主義とハイエクの批判した集産主義は言葉は同じでも内容が全く異なるとか、門外漢の自分にはややこしい問題がいっぱいだ。 正直、自分のバクーニンに対する印象は「MASTERキートンで名前が出てた」程度のもの。あの話はすごく好きだ…

宮崎駿監督はセカイ系というか近代的自我というか、自意識が無意味に肥大化する気分はわかるほうの人間だ。だからこそ自分はそういう作品を作るつもりはないという。 いや、僕は人間を罰したいという欲求がものすごくあったんですけど、でもそれは自分が神様…

『DEATH NOTE』は月が純粋な正義感だけで動いていたら小難しい話になりかねないところを「僕は新世界の神となる」の一言で回避している。そしてフラットに見たら狂人で極悪人の月に対して、リュークの「人間って…面白!!…」の一言でそういう見方をすればいい…

フィクションに限らず物語は受け手が主人公に肩入れすれば9割方成功。民話は主人公が無個性であることで受け手が主人公に共感する。伝説は主人公が魅力的な個性を持つことで受け手が主人公に憧れる。

ドラクエとかでプレイヤーキャラが村人の家に勝手に侵入したり家探しをしたりしてもいいのは、プレイヤーキャラが現実の人間の化身でノンプレイヤーキャラはあくまで作り物の置物だからだ。 ゲーム用語では外見をカスタマイズできるプレイヤーキャラをアバタ…

世の中にはファンタジーを理解できない人がいるそうだ。そういう人は認識できるリアリティラインが1つしかないんだろうか。だとするとリアリティラインの混乱から生じる不快感や、逆に混乱をうまく利用したギャグやマジックレアリズム的な感覚も理解できない…

最近の中国政府はゲームに対する規制を強化して、中性的な男性や女体化を描くことにも文句つけてるらしい。 それまで色々な作品で見かけた属性だし、完全に突然の方向転換だろうな。数年前に連載開始した漫画だと女体化した仙人が不逞の軍人を成敗するって場…

偉そうなことを言うから笑えるんだし、笑えるから偉そうなことも言っちゃえる。そういうもんだ。 宮廷道化師の存在は宮廷の安定ありき。宮廷道化師は革命家にはなれない。

社会には批評家という宮廷道化師が必要になるものだ。そう考えるとあのジョーカーがジョーカーという名のヴィランなのはさもありなん。

最近はAIに人間を超えた価値判断を期待したい系の人を結構見るけど製作者かサンプルにした人間の価値が反映されるだけだと思う。価値を実現させる手段については人間を超えた解を期待しても良いかも。 AIに人間を超えた価値判断を期待したい系の人は人間が神…

自然科学がデータならイデオロギーや宗教は特定の価値観に基づいた解釈だ。自然科学だけだと石ころとヒトのどちらが尊いのかすら決められない。人間が生きていくためにはデータだけでなく価値観や解釈が必要になる。イデオロギーとも宗教とも無縁で生きてい…

生き物に現実から乖離した夢を見ないと好きになれない人間は生き物のことが好きじゃない。

生物の進化もとい分化とは、たまたま生存上不利にならない変異が生じて、それがたまたま子孫の間で広まることを言う。ただの自然現象でそれ自体に意味や意義があるわけではない。高いところから溢れた水が床に落ちて散らばるのと同じ。

哺乳類の中でビタミンCの合成ができないのは一部のげっ歯類とコウモリ類、ヒトを含む霊長類だけだ。これはもちろんビタミンCの合成ができないことに適応的な意味があるのではない。進化の過程でビタミンC合成に関わる遺伝子にたまたま有害な変異が起きてしま…

伊藤計劃先生の文章は小説もエッセイも面白いし、小説で、人類が糖尿病になるのは血糖により血液の凝固点を上げて血液の凍結を防ぐための氷河期に対する適応だというトンデモ説が出てきたときも気にならなかった。でもエッセイでその説が紹介されていた時は…

『ジョーカー』は規制すべきという意見と規制すべきでないという意見の両方が出せる日本はそれなりに健全な民主主義だ。権威主義国家や全体主義国家のように効率を名目にして上が下に正しさを押し付ける体制ではない。暴力や金や権力を独占する人間が正しさ…

フィクションのトンデモは現実的かつ直接的に迷惑行為・犯罪行為を呼びかけるものでもなければ客観的な欠点にはならないと思う。でもタイムリーで生々しいなトンデモを扱う作品には拒否感が出やすい。賛否分かれる作品になるのは避けられない。 五十嵐大介先…