メモ帳用ブログ

色々な雑記。

少年漫画の勇気といえばジョジョ第一部のツェペリさんの名言。人間は怖さを知っている。だから勇気があるって理論は好きだ。

ノミっているよなあ・・・ちっぽけな虫ケラのノミじゃよ!
あの虫は我我巨大で頭のいい人間にところかまわず攻撃を仕掛けて 戦いを挑んでくるなあ!
巨大な敵に立ち向かうノミ・・・これは『勇気』と呼べるだろうかねェ
ノミどものは「勇気」とは呼べんなあ
それではジョジョ!「勇気」とはいったい何か!?
「勇気」とは「怖さ」を知ることッ!「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!
人間讃歌は「勇気」の讃歌ッ!!
人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!
いくら強くてもこいつら屍生人は「勇気」を知らん!
ノミと同類よォーッ!!

中華人民共和国憲法の第一章总纲(総則)の第一条で
「中华人民共和国是工人阶级领导的、以工农联盟为基础的人民民主专政的社会主义国家。」
中華人民共和国は、労働者階級が指導し、労働者・農民の同盟を基礎とする人民民主主義独裁の社会主義国家である。)
とされているので、建国当時だけでなく現状でも一応民主主義国ということになっている。朝鮮民主主義人民共和国人民民主主義国を名乗っている。反ブルジョワ(市民・資本家)民主主義という名目。

日月同错にはわかりにくい部分が多いけど、重要なテーマやサブテーマは第1話で示されている。
わかりやすいものが2つ。

  • 人間は天や宿命に操られる傀儡である。宿命に終止符を打って自由になる。
  • 三真法門の伝承者は宿命に従い不屍王を討たねばならない。不屍王は屍者を生み出す元凶である。宿命に從うことで宿命を変える。

セリフでは表されていないが行動で表されているものが1つ。

  • 三真法門の伝承者は宿命を成し遂げるために、弱者だろうと勇気を出して協力し合う。

中国語的には主に肉体的な意味で強者と弱者が対義語になる。そして主に精神的な意味で勇士と惰夫(臆病者)が対義語になる。
三真法門の求法者にとって、弱者であっても勇士たろうとし、勇士のみんなで力を合わせて理想を実現することが大切らしい。それは師匠の兄弟子・姉弟子たちが自分の命を犠牲にしてでも三真同月令を守り抜いたことや、弱者である高皓光の師匠を助けたい気持ちが三真同月令を起動させて姜明子の協力が得られたことにも表れている。三真法門の理念は言葉では示されなくても行動で示されている。
ただこの理念は裏返すと、強者だろうと惰夫には他人に助けてもらう資格がないという、一言余計な内容になってしまう。そしてどういう訳か高皓光も段星煉も一言余計なほうばかりを口に出してしまっている。

地味に気になる部分その2。仙丹を服用すると屍疫で欠けた身体が戻ってくるってどういうことなんだろう。
①仙丹の治癒能力は絶大だ。手足が刃物で切断されようが、服用すれば新しく生えてくる。
②第5話の姜明子による屍疫の説明からすると、屍疫は黒血で患者の身体と生命力を吸い尽くして殺したあとに、術者の下へ戻って法力に変換されるようにも読める。この場合、生存している患者の身体は患者の体内に潜む黒血の中にあり、まだ術者に吸収されていないことになる。その状態で仙丹を服用すれば黒血内の手足が肉体として復元される。
これは①か②か決め手がない。強いて言うなら、②だと千年ぶりに蘇った三眼が屍疫を再び使わなかったことの理屈をつけやすくなる。西暦525年の三眼は「気楽な修行」のつもりで屍疫を蔓延させたが、しくじってかえって害になる急速な吸収をしないといけなくなった。だから蘇った後は確実にひとりひとりを食べるようにした、とこじつけられる。

三眼はパニックホラーもののモンスター役と犠牲者を無駄に増やす狂信者役の両方を兼ねている。(儒教的な)天に弄ばれつつ、その意志に従って虐殺を引き起こす。虐殺をしてしまったのは白小小だけど、縛り上げられたままで人食いの化物に迫られて、その化物の提案を受け入れないとどんな目に合うかわからなかったのだから、最後に白小小を追い詰めたのは三眼だ。
日本人が自然の摂理と聞くと甘っちょろいヒューマニズムの通用しない厳しい世界を想像する。でも三眼の言う天経地義は儒教的な言葉で、儒教では礼や孝も宇宙の根本で天経地義だとされる。天が作った世界にはあらかじめ従うべき道徳が含まれていて、時折天が人間界に使いを送り込む、みたいな部分はキリスト教と通じるところがあるのかも。こうした文化の違いがあり、三眼は儒教的な天に従っているので自分から見て行動原理が掴みにくい。三国志演義で劉安が劉備に自分の妻の肉を振る舞ったエピソードに近いカルチャーギャップを感じる。道家思想の天地不仁(天地に仁の心はない。しかしだからこそ自然が成り立っている。)のほうが自分にはわかりやすい。道家思想と道教はイコールではないけど、メインカルチャーである儒教に対するカウンターカルチャーとして同一視された部分もある。