メモ帳用ブログ

色々な雑記。

アニメの人斬り用一郎の回は本当に面白かった。ドキドキした。何気なく見てたら演出キッレキッレ!EDテロップで確認したら、絵コンテをアクションや時代劇に定評のある安藤真裕氏が担当していた。なるほど。

この回は原作をはじめに読んだ時から大好きだったし、今改めて見ると終盤のテーマの一つをここで前振りしていることがわかってなおさら興味深い。

人斬り用一郎のモデルが人斬り以蔵こと岡田以蔵なのは幕末を少しでもかじったことがあればすぐにわかる。用一郎に汚れ仕事をさせて見捨てた「先生」のモデルは武市瑞山だ。史実とは違ってこの「先生」は早々にトカゲの尻尾切りをして罪を逃れたようだ。

自分は岡田以蔵武市瑞山だと武市瑞山のほうが好きなくらいだし、武市瑞山が倒幕へ向けて取った手段も当時としては正義があったと考えている。でも岡田以蔵という個人と武市瑞山という個人の関係でみた場合、フィクションで武市の側の薄情さが強く誇張されるのは当然の帰結だとも感じる。

「先生」と用一郎の関係は、鶴見と月島の関係を予め仄めかすものとなっている。鶴見と月島の場合は鯉登が手を伸ばしたことで月島のほうが日の当たる場所に留まれた。そして月島は「人間」として生きていくのだろう。二人の年齢差は一回り前後あるし、健康面から考えても鯉登が月島に先立つことはまずないはずだ。某漫画の某未亡人ではないけれど、様々な人間との別れを体験せざるを得なかった月島は鯉登に一日でいいから自分より長生きしてほしいと思っていそうだ。

この先の困難はいくらでも想像できるが、ともかく最終回の2人が幸せそうで本当に嬉しかった。ついでにこれで安心してこっ酷い別ルート妄想が自分の中でやりやすくなった。用一郎よろしく、鶴見の権利書を持って高跳びする最終手段があのまま成功して鯉登も怪我が悪化して亡くなってしまった月島、みたいなの。本物が痛ましいままで終わってしまうと流石にそういうのはできないから。

土方の最終対戦相手が鯉登になったのにはこの辺の流れを汲んでいるのかもしれない。あと、土方歳三的な立場か榎本武揚的な立場かで言ったら、鯉登は間違いなく榎本的な立場の人間になる。『ゴールデンカムイ』は基本的に土方歳三の貫いた忠義の美学を強く打ち出す作品だが、終盤には榎本にも榎本の立場があり、日本を近代化に導くべく尽力した人物であることが描かれた。主君に忠義を尽くす侍の国から、軍隊が国の同胞を防衛する近代国家へ。日本でこうしたことを考えなしに言うと問題にしかならないのはわかっているけど、明治にこうした理想を持った軍人がいたと想像することには何の問題もないはずだ。

鯉登は性格から考えて、これから日本軍の矛盾が明らかになり暴走が止められなくなっても、逃げたりはせず、その場で歯を食いしばり、自分のできる選択を模索していくのだろう。