メモ帳用ブログ

色々な雑記。

ゴールデンカムイがもし社会的正義や社会的道理の話だったら生き残るはずのないキャラが最後まで生き残ってるから、ゴールデンカムイはやっぱり社会的正義や社会的道理の話ではないと思う。個人的な正義や個人的な道理の話、もっと言えば愛の話だと思う。愛ゆえに安穏な暮らしを選ばず死地で命を落とした者もいれば、愛ゆえに死ぬべき運命を乗り越えて命を拾った者もいるという。
エンタメ作品だから亡くなったキャラと生き残ったキャラに感情論で納得がいきやすいように仕上げられていて、亡くなったキャラのほうが罪が重い傾向があるけど、それは副次的な部分だと思う。
そもそも主人公の杉元が幼なじみ2人に対する愛と約束から、見も蓋もなく言うと、犯罪に走るのが話の発端だ。杉元も戦争で人をたくさん殺した自分は地獄行きの特等席がふさわしい人間だと考えていて、相手が変に自己正当化している時とかよほどの場合でもなければ説教をしたりしない。
もし社会規範が第一の世界なら牛山が亡くなって月島が生存する展開はありえない。
まず、いご草ちゃんは生きている。第276話『エビフライ』で金子花枝子の従兄弟の嫁になったことが描写されている。
だから鶴見が中央に信じさせた「幼い頃から虐待され過去に殺人も犯した噂もある素行の悪い父親によって 戦争に行っている間に婚約者を自殺に見せかけて殺され 逆上し殴った末の過失致死」という月島の過去は盛りすぎの嘘だ。嘘だと告白したのは本当だった。
いご草ちゃんを玉の輿に乗らせるために両親が島を巻き込んだ大芝居に打って出て、金を握らせて月島の父親に息子の戦死を吹聴させた、というのが真実だった。父親がなぜか息子の戦死のデマを流したせいでいご草ちゃんが自殺したという月島の勘違いでも「殺されても当然の父親像」が若干足りなかったのに、真実がそれでは月島が尊属殺人の罪を免れるのは不可能だ。死刑が確定する尊属殺人罪は過去を舞台にした創作では使い勝手のいい罪状だ。当時からすれば当然でも、現代を生きる読者としてはただの殺人罪で十分だと同情したくなる。月島の発言からしても散々父親に苦しめられたのは事実に違いない。だから戦死のデマの出所が父親だと知るやいなや、事実関係を確かめることなしに飛びついてしまい、父親を殺害してしまった。「自分を制御できなければいつか取り返しのつかなくなる」。それを反省した月島は長年自制的に振る舞っていた。だが終盤は精神が耐えきれなくなり、制御されたむき出しの暴力性とでも言えるような危険な状態に陥る。
一方で牛山の罪は、師匠の妻を寝取って師匠とその弟子たちに襲撃され、返り討ちにし、師匠を殺し弟子たちに重症を負わせたというものだ。過剰防衛の範囲内の気がするが、『ゴールデンカムイ』の刑罰は最初の強盗以降はほぼ脱走を繰り返しているだけの白石が死刑囚だったりするので深く考えてはいけない。牛山のこれが世界から裁かれるべき罪というなら杉元も余裕でアウトだろう。牛山がアシㇼパたちを庇って亡くなったのは、罪の精算とかいう陳腐なものでなく、牛山なりに愛を体現した結果だと考えていいはずだ。
そして月島は本来はあの列車で鶴見の手を取って死んでいくのが筋といえば筋だった。汚れ仕事をやらせるためとはいえ、死刑囚の月島を牢から出して生かしたのは鶴見だ。月島も瀕死の菊田を殺害した際、地獄行きの特等席において「鶴見中尉殿のとなりは私の席だ」と自ら宣言していた。だが鯉登は月島に手を伸ばして引き止め、月島も鯉登に応えてしまう。
鯉登が月島の過去をどのくらい把握していたのかはよくわからない。正直、月島は精神が疲弊するあまりに噂話を聞いた程度の知識しかない相手に「あの男… 佐渡の人間しかわからん訛りであの男は本当に島の人間なんでしょう…」と意味不明の話を口走ったようにしか思えない。ただ鯉登は月島がどれだけ過去に罪を犯していようがいなかろうが特に気にしないはずだ。自分から語りでもしない限りは過去をほじくろうとすることもないだろう。鯉登は、過去や自分の見えないところで重ねてきた汚れ仕事がどうであれ、今目の前にいる月島のことを離したくなかったから離さなかった。
鶴見は部下に殺人への抵抗を飛び越えさせ、罪悪感に打ち勝たさせるためには、自分との間に愛を育むことが必要だと考えた。様々な手段を講じてそれを実現させてきた。常識を超えさせるために愛という感情を合理的に利用してきた。だが部下たちの間に自分に対するものを超える愛が生まれることは想定していなかったようだ。愛とはやはり社会や常識の枠には収まりきらないものだ。