メモ帳用ブログ

色々な雑記。

正直言ってどの点が論点なのかよくわからなくなりつつある。感受性自体じゃなくて、口の軽さだよな?
自分は子供の頃に引っ越したことがある。その範囲で想像すると、昔の自分の家が緑に覆われた綺麗な廃墟になってタンポポでも生えていたらって想像するとワクワクする。野鳥が巣を作っていたら最高だ。でもそれは自分が今の家が気に入っていて、昔の家はあくまで過ぎ去った思い出の中の家でしかないからなんだよね。事情があって帰れないけどまだ自分の家である場所が草だらけの廃墟になっていたら嫌だ。思い出の中の家が草ボウボウになっているところを想像するなら、更地より元の面影がある廃墟が残っているほうが趣があって格好良くてベスト。
あ、でも他の人が自分の家だったところに住んでいるのを想像したらちょっと嫌な気分になった。まあ、もし自分の家だったところに綺麗な家が建っていたら複雑な気分になるだろうけど、綺麗な家だなと誰かに言われたらそれはそうだと感じるかな。

続きを読む

日本は高度経済成長期にそれまでの風景を一変させた。全国で野放図な都市開発が進んだ。山が猛スピードで切り開かれ、田畑が埋められた。新たな施設や商店、一軒家が無数に建った。
そして過疎化が問題となる現在、風景は再び変わろうとしている。シャッター通りが目立ち、空き家が増えている。都市はスポンジ化し機能不全に陥りつつある。多くの自治体が赤字にあえぐ。このまま旧来のやり方を続け衰弱するに任せるか、都市計画を行って人間の生活領域を再編し、自然に戻すべきところは戻せるかは、これからにかかっている。
近年注目されているのはコンパクトシティ構想だ。拡散した都市機能や家屋を集約し直し、効率化を目指す。挑戦した自治体は多い。しかし、残念ながら失敗した自治体は少なくない。成功例を研究し、より洗練されたコンパクトシティ計画を立てる、もしくはコンパクトシティ構想に代わる新たな解決策を探る、などの試みが必要だ。

岩手県宮古市姉吉地区は「想へ惨禍の大津浪(大津波の災いを忘れるな)此処より下に家を建てるな」と言う石碑の教えを守り、東日本大震災の際の津波で集落が飲み込まれることがなかった。この地区は、明治三陸津波(1896年)の際と昭和三陸津波(1933年)の際には石碑の位置よりも低地にあった集落が飲み込まれていた。現在も存続する集落は昭和三陸津波の後に再建されたものだ。これは地区計画の成功例といえる。ただ、この地区でも外出していた住民が津波の犠牲者となった。住民はただ喜ぶわけにはいかないと語る。

これと同様の石碑は全国に存在し、東北にも多数存在する。だが先人の警告が守られずに開発が行われ、被害を受けた地域は多い。


アーカイブ配信はありがたいな。

日本は江戸時代から街道沿いに街が発達し、都市機能が集約できないスプロール化(虫食い化)の傾向があった。スプロール化を起こした街は機能が拡散しているためちょっとしたダメージで機能不全を起こしてしまう。
そして高度経済成長期の無秩序な都市開発やマイホーム文化、マイカー文化により、日本は多くの都市が典型的なスプロール化に陥った。過疎化の進む現在、スプロール現象の弊害があらわになり、さらに都市のスプロール化を超えた都市のスポンジ化が起きつつある。
とかこういうのは自分が学生時代に習ったことだけど、その頃言われていたことは案の定解決せずにますます悪化している。高度経済成長期に日本全体が無計画だったツケを過疎化の進む地方から順に払わされている。
根本的な解決方法は都市計画をして薄く散らばった家や都市機能を要所要所でコンパクトに集約し直すことだ。少し前に盛んに叫ばれたコンパクトシティ構想というやつだ。ただ実現のハードルが高く、絵に描いた餅になりやすい。予算の捻出が難しいし住民はなかなか行政が想定した通りには動かない。人口流出には理由があるのだから、理由をわかって対策したつもりでも一度生まれた流れを覆すのは難しい。引っ越すくらいならひとりぼっちになっても家で死にたいという高齢者も少なくない。
住民一人一人の頑張りで問題を解決しよう、とか言ってるうちは新しい場所をつくるのは無理。もう今ある場所を活用して問題が解決できる時期はとっくに過ぎている。根治療法にしろ対処療法にしろ行政が介入して民間が連携しないと。



新海監督アニメは中国で大人気だ。
新海監督描き下ろしのビジュアルが美麗だ。シリアスな雰囲気で格好いい。


翻訳はちゃんとしているんだろうか?