メモ帳用ブログ

色々な雑記。

ヤクザってのは独善で自分たちの考える大を救って自分たちの考える小を犠牲にする典型だ。独善の塊ではあるけど国や共同体の統治が本当にどうしようもなくなっている時には必要とされることがある。義賊や侠客がそうだ。中国は国土が広く、易姓革命も何度も繰り返された。かつては義賊や侠客のほうが官吏よりも信頼されるような状況は珍しくもなかった。国軍が匪賊などよりよほどタチが悪いというのもありがちだった。民間の自警団と匪賊は常に紙一重で、ヤクザの掟に従った者が生き逆らった者が死ぬ、そうした独善的な秩序すらなくなれば何の秩序も残らないような有様にしばしば陥った。
義賊たちには政道の腐敗に対して根治的療法を目指して謀反や革命に向かう勢力と、対処的療法に徹して国家にはむしろ従う勢力がある。中国なら前者の典型が劉邦で、後者の典型が水滸伝の好漢たちだ。水滸伝の主人公は悪徳官吏や悪徳商人を成敗するが、天子に対してはあくまで忠誠を誓っていた。こうした姿勢は後世に中国共産党毛沢東らから投降主義であり革命への裏切りだと批判されることになる。魯迅水滸伝の政治姿勢には批判的だった。

文化大革命時代における古典名作解釈に見る文学の多面性


日本は革命が起きていない国なので、フィクションの題材となる義賊は投降主義的な姿勢を持つ者が多い。