メモ帳用ブログ

色々な雑記。

風立ちぬの二郎が軍隊の行く末に無感動なように見えるのは、軍隊より自分の作る飛行機というのが半分、いわゆる死の受容でいう第一段階の手前なのが半分だからだと思う。


1.否認と孤立:頭では理解しようとするが、感情的にその事実を否認している段階。
2.怒り:「どうして自分がこんなことになるのか」というような怒りにとらわれる段階。
3.取り引き:神や仏にすがり、死を遅らせてほしいと願う段階。
4.抑うつ:回避ができないことを知る段階。
5.受容


カストルプ(ソ連のスパイであるゾルゲ)が「ニホンハハレツスル」と教えてくれるし、それとない予兆はいくらでもあるけど、とても信じられないし、信じたくない。最後の二郎が九試単座戦闘機テスト飛行を成功させるシーンは史実だと1935年だから、まだまだ滅びに至る実感がないのが普通だろう。第二次世界大戦が始まるのは1939年で、日中戦争が始まるのだって1937年だ。零戦を設計してその場しのぎの改良を重ねることになる「力は尽くした」が「ズタズタ」の最後は先の話だ。映画では死の受容でいう1をほのめかした後、2から4までを省略し、「美しいところだけを」観客に見せてから5の場面に移った。
菜穂子は作中で1から5に至るまでを描かれていた。