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さらざんまいとりあえずの感想。悠が一稀と燕太に感じていたのは

友情というより友達になれるかもしれないという希望だったんだなと。

悠がヒロインで一稀が主人公、燕太はサブヒロインな感じの最終回。ED独占もヒロイン特権あるある。でもこのトリオで恋愛感情があるのはあくまで燕太から一稀へだけで、それも前回叶わないものだと自覚している。ゴールデンコンビ以上の関係にはなれない。3人の関係は友情。

悠にとっては燕太だけでなく一稀も自分を裏切った相手。でも激しく怒りも落ち込みもしなかったのは自分はそうされて当然の人間だと考えていたからだろう。カワウソ誓が自分の欲望の写し鏡でしかないことは悠も自覚していたはずで、誓に利用されているだけというカワウソ誓の言葉が自分の不安なのも自覚していたはず。それでも良かったし必要だったと認めたからこそ、カワウソ誓を銃で撃ち、自分も撃とうとする。自分は死ぬのが当たり前で死ぬべき人間だからだ。だけど悠の自殺を、皿を集める仲間以上の本当の友達になれるかもしれないと期待していた一稀と燕太が止めに来る。一稀と燕太は本当の友達になろうとしている相手のために命をかける。

11話丸々使って、縁のあるだけの相手から本当の友達に変わろうとする話で、悠が出所してからやっと本当の友達付き合いが始められる。この数ヶ月の交流も長さの割に濃かったけど、未来の可能性の漏洩で示唆されているとおりに、これからの付き合いのほうがずっと長いしいろんなことがあるのは間違いない。悠の未来の可能性であるムショ帰りのスポーツ選手って梶原一騎の世界だな。あしたのジョー高森朝雄名義)とか。サッカーだと聞いたことないけど、たぶん日本初のムショ帰りのサッカー選手になるため大変な苦難を乗り越えるんだろう。

毎話アバンのアを囲む円のローマ字は「TSUNAGARITAI」。ア=つながりたい。アは始まって(あいうえおの最初)、つながれる(アクセス)もの。終わる、との関連があれば「始まらす、終われず、つながれない」の反対だと言えるけど、終わるとアの関連はよくわからない。終わる、は今までの関係が終わって新しい関係へということだろうけども。ア=愛かなとも思うけど、さらざんまいは一方的に注げる愛の話というより、欲望込みでも双方が求め合う愛・友情の話だから違うかな。

EDの歌詞がそのまま悠の心情とシンクロ。バリカンで頭を剃られる悠は可愛かった。少年刑務所で家族以外が面会の許可を受けるのは難しいらしい。それに悠の性格からしても堅気の2人からはあえて距離を置こうとしても不思議はない。ED丸々の尺をとった分だけ、悠は本当の友達になってくれるかもしれない相手のことをずっと思っていただろうし、会いたい気持ちを抑えていたはず。前回EDで鳥の影と橋の上のミサンガを持つ人影はひとつずつになった。今回のED後では鳥が1羽で橋の上には悠がひとり立っていた。10歳の時に橋からミサンガを捨てた時と重なるシチュエーション。今度は悠はミサンガでなく自分自身を橋から投げ捨てる。後ろ向きな意味でなくこれまでの自分を捨ててやり直すためだろう。でも10歳の時ミサンガを一稀が拾ってくれたように、今度は一稀と燕太が悠を迎えに来る。切れて叶う願いもあれば、つながって叶う願いもある。OPがかかって本当の始まりを宣言。OP後にEDのあの影と同じ構図の人影が3つになる。