メモ帳用ブログ

色々な雑記。

黒山村編だと、過去の因縁(捧げられた生贄が白家の人間だった)が発覚した途端、三眼は契約を交わした黒山村の人間を見捨てる。
三川編だと、過去の因縁(周六晴と段星煉は三真法門の伝承者)が発覚した途端、多数の求法者は同じ組織の仲間である周六晴や段星煉を見捨てる。
大昔の因縁が悪い方向に働くとしょーもない。
日月同错は普通なら優先すべき現在の立場や人間関係の比重が軽く、多数の大人たちが宗族や宗門の過去の因縁を最優先してしまう。それを変えるのが高皓光たち三真同月令に選ばれた人間という構図になる。
黒山村の村長と趙炎はどちらも自分の身内を守るために立場と大義名分を利用して、悪人とみなした相手の命を一方的に犠牲にしている。むしろ犠牲者の数を見れば趙炎のほうが上だ。それでも趙炎は趙炎の視点が丹念に描かれているから同情できる。そういう対比もある。
世界は誰かだけのために回っていないし、誰かだけが優遇される筋合いもない。それでも他人の権利を侵害してでも成し遂げたいものがあるなら、公平な機会と公平な法律の下で結果を出すしかない、というのが近代的な考え方になるんだろうか。日月同错は世界そのものの近代化を目指すことになる。