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色々な雑記。

寄生獣の元ネタのひとつは明らかに遊星からの物体Xだ。

冒頭の寄生生物の卵?が空から降ってくるシーンなんかは元ネタが宇宙生命体だった名残だろう。寄生生物が宇宙人呼ばわりされる場面もある。ただし寄生獣の寄生生物は明らかに連載当初から地球上の生命体として設定されている存在だし、最後までそれは変わらない。
遊星からの物体Xなら物体Xが地球人から見て異常なのは宇宙生命体だからという理由で済む。寄生獣の寄生生物だとそうはいかない。自分の存在意義に悩む寄生生物まで登場する。
寄生生物と人間の関係については作中である程度の答えが示唆されている。「そして出た結論はこうだ あわせて1つ 寄生生物と人間は1つの家族だ 我々は人間の『子供』なのだ」。これを語った寄生生物は自分自身が既に人間の子供を守るためにリスクを冒しており、結果としてこの後に大変な損害を被る。
もちろん人間が人工的な実験で寄生生物を作り出したとかそういう意味ではない。
確かに人間に頼って生きる寄生生物は親に頼って生きる子供に擬えうる部分がある。しかしただそれだけの言葉ではないだろう。主人公は「あわせて1つ」とは自然にとって人間が毒で寄生生物が薬という意味かと考えたりもした。以前には人間という毒の中和剤が寄生生物だと語る男も登場していた。ただ、寄生生物が人間に対してある種の補完を行うために生まれた存在であることは間違いないものの、生態系のバランスを守るために地球が生み出した薬・中和剤という考えは正しくはないようだ。寄生生物による間引きが結果として人間のためになるということでもない。人間の間引きで生態系に影響を与えるには寄生生物はあまりに非力でもある。主人公は後に他種の生物を自種の物差しで把握した気になることを反省する。他の生き物の気持ちをわかった気になるのは人間のうぬぼれだという。
地球上の生き物はある意味ですべてが敵であり、ある意味ですべてが仲間であり家族でもある。作中の描写を見る限りだと、寄生生物は毒に対する薬どころかむしろ捕食すら含めて人間に寄りそうために生まれた存在のようにさえ思える。寄生生物は人間のヒマや自意識過剰、言い換えればさびしさを補完する存在なのかもしれない。