メモ帳用ブログ

色々な雑記。

高畑勲監督が映像化した『火垂るの墓』を、宮崎駿監督は次のように語った。

(前略)再び『砂漠の修道院』を取り上げ、当てずっぽうにひろい読む。
突然、わかったような気がする。コプト教の修道士についてではない。四月以来心に引っかかっているアニメーション「火垂るの墓」についてである。
空襲で家と母を失い、飢えと栄養失調で死んだ四歳と十四歳の兄妹の二人の幽霊が、なぜ母の幽霊と出会わないのか。母と二人は別々な世界に行ったのか。生に執着し、恨みを残して死んだのなら、二人の幽霊は死ぬ寸前の飢餓の姿であるはずなのに、なぜ肉体的に何も損ぜられていない姿をしているのか。コプトの修道士たちが、この世との絆を断ってナイルを西に渡ったように、あの二人は生きながら異界へ行ったのだ。二人が移り住む防空壕は、砂漠の僧窟がそうであるように、二人が生きたまま選んだ墓穴なのだ。兄の甲斐性なしを指摘する者がいるが、彼の意志は強固だ。その意志は生命を守るためではなく、妹の無垢なるものを守るために働いたのだ。
二人の最大の悲劇は、生命を失ったところにはない。コプトの修道士のように、魂の帰るべき天上を持たないところにある。あるいは、母親のように灰となって土に化していくこともできないところにある。しかし、二人は幸福な道行きの瞬間の姿のまま、あそこにいる。兄にとって、妹はマリアなのだろうか。二人の絆だけで完結した世界に、もはや死の苦しみもなく、微笑みあい、漂っている。
火垂るの墓」は反戦映画ではない。生命の尊さを訴えた映画でもない。帰るべき所のない死を描いた、恐ろしい映画なのだと思う。

pp.270-271
(初出『朝日ジャーナル 88年8月5日号』)

自分の火垂るの墓に対する解釈は、以前に読んだ宮崎監督のこのコメントに大きく影響を受けている。
おばさんの家から節子を連れて飛び出した時点で、既に清太の無意識の無理心中は始まっていた。そして何も知らない節子は「兄ちゃん おおきに」と清太に感謝しながら亡くなった。だから清太には先に死なせた節子に殉じるために浮浪児を続けて死ぬ以外の選択肢は存在しなくなった。周囲に頭を下げて生き延びる道が万一清太に存在したとするなら、それは節子が生きている時点にしかありえなかった。