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色々な雑記。

愛と幻想のファシズムとか宇宙戦艦ヤマトとか、日本のエンタメは第二次世界大戦敗北のコンプレックスが婉曲的に投影されたものが少なくない。方向性はこれらの作品と逆だが、手塚治虫先生や高畑勲監督や宮崎駿監督の作品、さらにウルトラマンシリーズや機動戦士ガンダムなどにも敗戦に対する制作者の姿勢が反映されている。直接的なコンプレックスを持たない作者でも、先行作品の影響を受けることで間接的に戦争に対する思想を作品に滲ませている作者は多い。政治フィクションの分野では愛と幻想のファシズムの影響がすぐに見て取れる作品もかなりある。もっとも愛と幻想のファシズムはエンタメとしては優れていても、そこで取り上げた人類学的な理論はほとんどがデタラメではあるのだけど。
愛と幻想のファシズムの影響が明らかで、ほとんどの政治家や著名人をモデルにしたキャラは醜悪に描いているのに、ナショナリスト的な政治家をモデルにしたキャラだけは堂々とした人物として描いているような作品は、ナショナリスト的な作品と捉えるのが妥当だろう。
一方、多くの作品から影響を受けている新世紀エヴァンゲリオンには、良くも悪くも、まるで政治的な指針というものに欠けている。愛と幻想のファシズム宇宙戦艦ヤマト宮崎駿監督や高畑勲監督やウルトラマンシリーズや機動戦士ガンダムなどをオマージュしているが、社会に対する関心は抜け落ちている。これが宮崎監督が言うところの庵野はコピーのコピーのコピー、コピーは何でもできるが実態から遠ざかっている、ということなのだろう。