メモ帳用ブログ

色々な雑記。

自然科学がデータならイデオロギーや宗教は特定の価値観に基づいた解釈だ。自然科学だけだと石ころとヒトのどちらが尊いのかすら決められない。人間が生きていくためにはデータだけでなく価値観や解釈が必要になる。イデオロギーとも宗教とも無縁で生きていける人間なんていやしない。
共産主義は教義自体は割合好みで、さすが近代で一番成功している新興イデオロギーだけはあると思える。でも自分が単なるイデオロギーであることをごまかして客観的で絶対的な科学であるように振る舞っているところは嫌いだ。
自分が宗教であることを自覚している宗教や、自分がイデオロギーであることを自覚しているイデオロギーは別にいい。歴史のある宗教やイデオロギーはどうしたって他者の存在と向き合うことで自らの相対性を自覚せざるを得ない。自分はあまり自分の宗教を意識していないけど、無とか空とかに軽率に魅力を感じるのは仏教的なんだろうし、ヒトは自然の中で特別な地位を占めているわけでないと感じたがるところはアニミズム的なんだろうと思う。
新興宗教の絶対性を装うために科学という言葉をお題目にしがちなところには抵抗感がある。いかがわしい。科学のメッキが剥げきってみすぼらしくなったやつはネタ的で無害なオカルトとしてむしろ面白みがあるけど、そんなのでも騙される人は騙される。反科学な新興宗教はストレートにアホかと思うね。