メモ帳用ブログ

色々な雑記。

ヒトのDNAは確実に生まれつきの素質を左右する。例えば、勉強の成績が上がりやすいがうつ傾向が強くなりやすい遺伝子と、勉強の成績には貢献しないがうつになりにくい遺伝子があることが判明している。
こういったことを現代の自然科学がおおっぴらに語れるのも、古典的な優生学が科学として完全に誤っていることが証明されているからだ。生物としてのヒトはヒトという種のために生きるのでも、人種のために生きるのでもない。生物としてのヒトは自分と同じ遺伝子を増やすために生きている。現在の人間の尺度からすると不合理なように見える遺伝子だとしても、生物はそれを増やすために生きている。
人間として生きる人間が人為選択で品種改良を行うことは、必ずしも否定されるべきとは言い切れない。しかし正当化のために進化論を利用することは誤りだ。
社会や科学の発展を至上命題とする人間の中には、人間は遺伝子や性格の診断によって適正を診断し、その結果に従って進路が決定されるべきだと考えるものがいる。人間は少数精鋭になったほうがより発展を円滑に行えるようになると考える者もいる。人間を社会や科学を進化させるための駒として考える思想だ。だがこうしたイデオロギーも、進化論を盾に使わず、人間が人間らしく生きるための思想だと主張されると一概に否定できない。