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色々な雑記。

基本的に生物の個体群は個体群密度が高まるほど指数関数的に感染症が広まりやすくなる。近縁の動物なら、単独生活の種よりは群れ生活の種のほうが感染症に対する強い免疫力が必要になる。
ヒトの場合、個体群密度の高まり=都市化の進行の歴史は感染症との戦いの歴史でもある。野生のヒトに衛生の概念は不要だが、都市の人間は公衆衛生を意識せざるを得ない。
ちなみに野生のチンパンジーと江戸時代のヒトの乳幼児死亡率(ともに5歳未満)はどちらも30〜40%で大して違わなかったりする。
乳幼児死亡率は普通‰(パーミル。10‰=1%=0.01)を単位にするが、この記事では馴染みのある%単位で表記する。
江戸時代に人口の大半を占めたのは農民だが、農民の乳幼児死亡率を正確に推測することは難しい。主な史料である宗門改帳には、年に一度の調査の前に死亡した乳児の記録は残らないからだ。また間引きの隠蔽も横行していたなど、残された史料からの推測には限界がある。通説では1歳未満の乳児死亡率は20%前後(10%台後半?)で、1~4歳の幼児死亡率も20%前後だとされている。
宗門改帳における出生と乳児死亡の過少登録 : 日本歴史人口学の残された課題
人口転換以前の日本におけるmortality
日本に古くからある間引きについて調査を依頼致します。この場合の間引きとは、口減らしの為に子どもを殺め... | レファレンス協同データベース
江戸時代後期の堕胎・間引きについての実状と子ども観(生命観)
歴史的に見た日本の人口と家族
江戸後期から明治前期までの年齢別人口および出生率・死亡率の推計 - 島根大学学術情報リポジトリ


町人の場合は農民以上に史料が少なく、研究はあまり進んでいない。
町人や農民と違ってある程度史料が整っている大名の場合、1651~1850年の乳児死亡率は19.32%、幼児死亡率は22.96%、乳幼児死亡率は37.84%(乳児死亡率+1歳時点の生存率(=1-乳児死亡率)×幼児死亡率。仮に乳児死亡率が20%で幼児死亡率が20%だと乳幼児死亡率は36%と計算される)と推測される。農民の推定値とほとんど同じだ。
大名の乳幼児死亡率1651~1850年 : 大名系譜の分析


江戸時代のヒトは栄養不良気味で不衛生な環境に大量に詰め込まれていたせいかもしれない。ヒトが自己家畜化によって進化した動物であることを考えると、多頭飼育崩壊気味だったとさえ言っていいのかも。
昔の人でも乳幼児期さえ超えれば大抵はそれなりに長生きできたとされる。現代でも発展途上国で平均寿命が短い理由は主に乳幼児死亡率の高さだ。乳幼児死亡率には衛生状態が直接的に影響する。他方、生活環境に見合う免疫を身につけて大人になれた人間は、以後多少の不衛生には寿命がそれほど左右されない(その環境が激変した場合やペスト・コレラなどの伝染病が流行した場合を除く)。江戸時代でもある村の60歳時点での平均余命は14年もあった。江戸時代やそれ以前でも、現代の発展途上国でも、長寿の老人は珍しくない。平均寿命が短いことと長生きする老人がいないことを誤って結びつけてしまうと、数値から社会像を正しく把握できなくなる。なお現代で最も平均寿命が短いとされている国でも江戸時代の日本よりはずっと長い。現代ではワクチンをはじめとする医療技術や衛生などの知識が一般化しているためだ。もちろん、乳幼児ほどではないものの、大人だけで比較しても平均余命(いわゆる平均寿命は0歳からの平均余命のこと)は現代のほうが近代以前より長い。過度な贅沢が現代人の寿命を縮めているのは間違いないが、科学の発展や普及を無視して伝統的な生活環境が長生きの秘訣だと謳うと誤解を招くことがある。
ちなみに明治初期の状況については内閣府のサイトに以下のような記述があった。

明治の初めにおいては,乳児死亡率は出生数1,000に対して250,普通死亡率は27,平均寿命は男子32年,女子35年程度であったが,昭和15年においては,乳児死亡率は出生数1,000に対して90,普通死亡率は17,平均寿命は男子47年,女子50年程度となったとされる(第1-序-12図)。
平成17年版男女共同参画白書 | 内閣府男女共同参画局

また、類人猿唯一の単独生活をする種であるオランウータンでも、乳幼児死亡率と個体の密度には密接な関係があるとされる。オランウータンは他の類人猿と同様絶滅の危機に瀕している動物だ。保護活動が行われているが、人間が餌付けをする保護地区では乳幼児死亡率が跳ね上がってしまう問題があり、原因の解明と解決が求められている。1つの仮説としては、餌のせいで不自然に個体が集まってしまい、感染症が広まりやすくなり、特に免疫の弱い乳幼児が犠牲になっている可能性が考えられる。