メモ帳用ブログ

色々な雑記。

ところで自分は初見時ダイジンを


未来の鈴芽の子供として生まれ変わることが正規の運命として定まっている魂で、正規の運命だと草太が死んで鈴芽が別の男とくっつくことになっているから、草太を要石にして始末しようとしているのかと勘違いしていた。小説版を読んだら勘違いだとわかった。
そこまで直球にエグい運命を鈴芽に背負わせる作品ではなくて良かった。表面上だけ見たら完全なハッピーエンドに見えるけど、過去の死者や未来のことを考えると現在の儚さが浮き彫りになる、それでも生きていく、という今のバランスが一番ちょうどいい。
それはそれとして、ダイジンやサダイジンが今更人間に戻れるかと言われればたぶん無理だろう。人が元にはなっていても自然そのものの神でもあるというダイジンたちに、人間に「戻る」という概念が当てはまるかどうかもわからない。ダイジンたちは人間が呪いで猫の姿になっているのではなく、要石に宿った神が猫を仮初めの姿にして顕現しているだけだ。ダイジンたちの魂がもし人間になる時が来るとしたら、役目から解放された後に魂の輪廻がどうこうを経たあとになるのかな。あの世界に直接的にしろ食物連鎖風の魂の循環的なものにしろ輪廻的なものはあるんだろうかとか、その頃には人類は絶滅していそうだとか、そういうのは置いておく。