メモ帳用ブログ

色々な雑記。

芹澤の掌編小説は「つかのまの水面」という副題がつけられているのが秀逸だ。
以下は真面目に読み解いたつもりだったのに何故か途中からただの二次創作では?みたいな感じになってしまった文章。


詐欺を指摘し、「そのバイトはもう辞めた方がいい。お前は自分の扱いが雑すぎる」と忠告してくる直前の草太の瞳を、芹澤は水の底のようだと感じた。水の底は深く、静かで、揺るぎない。
気まずくなり、草太とのLINEにすら既読が付かなくなって落ち込み、芹澤はマッチングアプリに手を出す。だが出会った女性の寂しさを察せずに振られる。さらに熱さえ出て寝込んでしまう。「お前は自分の扱いが雑すぎる」と草太に叱られたことや、「寂しい時なんてない」という女性の言葉を真に受けたことを後悔してうなされる。その時に家業のせいで長い間連絡ができなかっただけの草太が芹澤を訪ねてきて看病する。芹澤は草太の抱えているものに思いを馳せて尋ねてみるが、草太は「……いつか聞いてくれるか?」と言葉を濁すばかりだった。その時の草太は泣き出しそうにも聞こえる切ない声をしていた。寂しさのよぎった瞳をつかのまに揺れる水面のようだと芹澤は感じた。
現代の日本において、閉じ師はもはや人々から尊敬を集める仕事でも、それだけで生活が成り立つ仕事でもない。閉じ師は只人には理解されない。存在も行いも知られるべきではない。そんな閉じ師たちを支えているのは自分たちは只人を守る大事な役目を果たしているという正しさだけだ。只人からは理解されず、只人と閉じ師を分かつ正しさだ。
草太が詐欺を指摘し、「そのバイトはもう辞めた方がいい。お前は自分の扱いが雑すぎる」と芹澤に忠告したことは正論だ。だが苦学生である芹澤に、他の稼ぎ口も紹介できないまま現在の仕事を辞めるように言うことは本当に適切なことなのか? そうでなくとも他人に仕事を辞めろなんて言う権利が自分にあるのか? 正しさに縋って生きるしかなく、それを振りかざしているだけの自分の方が間違っているのではないか? そんな思いが草太によぎったことだろう。草太は食べかけのカツ丼を置いて振り返ることもなく食堂を飛び出した。それは芹澤に対する失望の故ではない。自分の吐き出した言葉の苦さの故だ。
芹澤だけでなく草太にとっても気まずい別れをしたまま、草太は家業のために長期間LINEを見ることさえできなくなる。芹澤は落ち込みのあまり無気力になっていたが、草太からしても気を揉む日々だったはずだ。すぐに顔を合わせれば何てことなくなるはずの後味の悪さが消えない。自分が仕事をおろそかにすれば確実に多数の人間の命にかかわる。だが正論を振りかざしたまま連絡の取れなくなった自分には、あの気のいい芹澤すら愛想を尽かすかもしれない。バイトだって辞めないかもしれない。バイトまで辞めるように言う必要はなかったのかもしれないし、逆にバイトを続けて事件に巻き込まれているのかもしれない。何もわからない。仕事が終わり、芹澤からの自分を心配するメッセージの数々が届いているのを確認して、草太は安心しただろう。きっと何事もなかったように元の関係に戻れる。だが今度は自分が芹澤に送ったメッセージがいつまでも既読にならなかった。
だから草太は芹澤の家を訪ねた。自分の部屋に荷物を置くことすらせずに、直接芹澤の部屋へ向かった。何が起きたのかを確かめずにはいられなかった。だが、気の毒だが幸いなことに、芹澤は夏風邪を引いただけだった。看病したらすぐに回復した。ほっとして帰宅しようとした時に、芹澤から自分の抱えているものについて尋ねられる。草太は「……いつか聞いてくれるか?」と言葉を濁すしかない。
閉じ師は正しさしか縋るもののない職業だ。そのために危険に飛び込み、命さえ懸ける。草太は自らの意志で閉じ師になることを選択した。これからの不自由を自ら選び、これまでの不自由を自ら納得した。
だけど自分の自由を犠牲にしなければ多数の人間の命が脅かされるという正しさに取り囲まれる中で、どうにか窒息せずに前向きに生きていくためには自分がこの道を選んだのだと考える他なかった、というのもまた事実だった。水の底で息をする方法を覚えるしかなかった。
教師を目指したのもそのためだ。いくら閉じ師と並行する仕事に教師が向いていなかろうと、誰にも強制されずに自分の意志だけで選んだ仕事を目指せないというのなら、自分は本当に息ができなくなる。そして大学で芹澤という男と出会い、友人になった。芹澤はいつもひどく優しい。嘘みたいな正しさの中で生きていて、頭がおかしくなったような事実を信じてもらえる自信もなく、ただ言葉を濁すしかない自分にも優しい。だから水面が揺らぐ。本当のことを打ち明けて、本物の空気に近づきたくなる。
そして芹澤は本編において超常の存在を知った。芹澤はこれまでの常識を捨てるしかなくなり、草太はもはや言葉を濁せなくなった。海がどう波立ち、波打ち際がどこに定まるのかを、知る者はまだ存在しない。


というか、芹澤と連絡が取れなくなった時に自分は心配して家を訪ねたんだろうに、自分が連絡が取れなくなった時に家を訪ねてきた芹澤の心配が理解できずにウザイと感じたという草太の感性は一体!? 芹澤は誰にでもグイグイ行く男だと草太は考えていて、自分にとって芹澤は親友だけど、芹澤にとって自分は知り合いかもと思ったとか、そういう納得をしてしまっていいんだろうか。