メモ帳用ブログ

色々な雑記。

トラウマの治療とは記憶との和解だそうだ。でも記憶と和解したくない人が少なくないのはわかる。そして誰も当人に和解するよう求めることはできない。和解しない道を選ぶことも当人の自由だ。


鈴芽はおそらく東北で被災した時の気持ちを明瞭に思い出そうとしたことはなかった。家族を亡くした気持ちは家族全員にとってセンシティブな問題で、家族だから腹を割って隅々まで語り合える場合もあれば、家族だからこそ一切話し合えないまま何年も何十年も経ってしまう場合もある。おそらく鈴芽と環にとって椿芽の死は後者だっただろう。環と鈴芽はあの時に十二年ぶりの里帰りをしたそうなので東北で法事を行ったりしなかったのは間違いなく、九州に招いて法事を行う親族がいるようにも見えない。遺体の発見されなかった椿芽の葬儀が行われたのかすら定かではない。また鈴芽は、環以外の誰か、例えば友達や先生とあの日の記憶を深く語り合ったこともないはずだ。鈴芽は十二年間、良くも悪くも、あの日のことなどなかったように神秘さのかけらもない普通の女の子として育った。
新海監督曰く、鈴芽が震災の前後をきちんと覚えていないことは、記憶喪失のようなつもりで描いておらず、あくまで4歳なりの記憶しかないというニュアンスだそうだ。4歳なりでしかない鈴芽の記憶は、咀嚼して輪郭をはっきりさせる機会を、立ち向かって和解する機会を、ずっと失っていた。向き合ったことのない喪失の記憶はいつまでもぼんやりと蕩けて隅々にまで潜り込み、普通の女の子に見えた鈴芽の人生にへばりついていた。
だが鈴芽は常世で震災の恐怖と向き合った。母を喪ったことを思い知った。そして自分は既に大切なものはもう全部もらっていたことを思い出した。混濁したまま思い違いをしていた自分の記憶に整理をつけた。