メモ帳用ブログ

色々な雑記。

前の投稿だと話を完結にするために省いてしまった部分の補足。
というか、なぜ新海監督は


「好きな人のところ!」というセリフをスタッフから急に恋愛色が強くなると反対されても押し切ったのか、ということに対する私見


鈴芽は草太に見惚れた時、美しい常世やそこで再会できたはずのお母さんを懐かしむ気持ちと、今まで母親への思いに区切りを付けられず一歩も踏み出せずにいた自分に新しい世界を見せてくれそうだと期待する気持ちの両方を抱いた。そして鈴芽は母親の形見の椅子となった草太と、今まで行ったことのない場所へ行き、閉じ師という今まで知らなかった世界の仕事に携わることになった。草太に感じたときめきの半分は、九州を離れる船で見た朝日に対する感動と同じ種類のものだった。
母親の形見に宿ったままの草太が理不尽に奪われた際、まず鈴芽が意識したのは同じく理不尽に奪われてしまった母親のことだったはずだ。それは草太の祖父と対峙した際の「(死者の場所は)……怖くなんてない」「生きるか死ぬかなんてただの運なんだって、私、小さい頃からずっと思ってました。でも――」「草太さんのいない世界が、私は怖いです!」というセリフに表れている。母親を失った体験が鈴芽にこの言葉を言わせている。また、若干カンニング気味だが小説版では鈴芽が身支度を整えながら「またなの?」と独白する箇所がある。
そして鈴芽は母親への思いにも草太への思いにも整理がつかないまま、芹澤、環、ダイジンとともに草太を取り戻すための旅に出た。 旅の中ではずっと母親代わりになってくれていた環と図らずも本音を打ち明けあうことになった。環は自分の本音と鈴芽を受け止め、鈴芽も自分の本音と環を受け止めた。鈴芽は環との関係を改めて受け入れることで、母親が亡くなった後の自分の歩みを、改めて肯定できるようになった。ここで鈴芽は母親との関係に一区切りつけている。
そんな時に環は「要するに、あんた、好きな人のところに行きたいっちゃろ?」と言った。鈴芽は混乱して「恋愛とかじゃないしっ!」と言ってしまう。本人に自覚がある恋心を言い当てられたからではなく、本人も気付いていなかった恋心を突然意識させられたからだ。とうとう自分の家に着き、鈴芽は後ろ戸を探し出す。自分を呼び止める環に鈴芽は「環さん、私、行ってくる!」「好きな人のところ!」と言い、常世に飛び込んだ。新海監督曰く、この「好きな人」とは恋愛的な意味だけで言っているのではないそうだ。それでも、鈴芽にとって人間として一番好きな人は草太になり、それは母親が好きという気持ちとは全く別のものだった。この時点で鈴芽は、単に大切な人の喪失を繰り返すことが恐ろしいからではなく、母親ではなく他の誰でもない草太を救うために扉をくぐった。新しい明日のために出発した。
鈴芽は要石になった草太を一心に救おうとした。その際に草太の記憶を垣間見た。この理屈は特に説明されていない。しかし自然に納得できる。それは単にお約束のシーンだからというわけではなく、「かつてここにあったはずの景色。ここにいたはずの人々。その感情。それを想って、声を聴く」ことが閉じ師の役目であり、鈴芽もそうしてきたからだ。鈴芽は人間としての草太を救いたいと思い、知りたいと思った。だからその声を聴けた。
鈴芽は草太と再会し、母親とは再会できないことを再確認する。常世に飛び込む時にわかっていたことではあったが、いざ直面するとやはり涙がこぼれた。ずっと母親の形見として持っていた椅子も消滅している。
それでも鈴芽は大勢の人々と共に生きてきた自分はもうひとりで立って歩けるようになっていることを思い出した。幼い自分を励まし、その時代から流されていた椅子を渡し、元の時代に送り出した。
鈴芽は草太とともに、新しい朝を迎えた現世に帰還した。