メモ帳用ブログ

色々な雑記。

詰めずに適当に書いた部分を修正

個人的にケルトといえばマスターキートンマスターキートンといえばドナウ川文明。ドナウ川文明って担い手すらはっきりしないことを含めてロマンをそそられる。おまけにそのドナウ川は後の大陸のケルト人の揺籃の地として、歴史的なロマンの注目度が高い地域でもある。イギリス諸島の島のケルトの遺産に囲まれて育ったキートンドナウ川文明を研究の対象とすることで、ヨーロッパの中央から全域に広まった古代のケルトの足跡を西の果ての現代のケルトに親しんだ者が逆にたどって、その上で印欧語族以前のさらなる古ヨーロッパの源流へと遡る→汎ヨーロッパ性とか、そういう文脈を穿ちすぎて読むのもやろうと思えばやれそうかもしれないとちょっと思ったけど、流石にトンデモ過ぎるな。

ドナウ川文明論=西欧文明ドナウ起源論は連載当初ロマンのある学説としてアリな範囲だった。でも考古学研究が進んだ今だと、古代文化の源流のひとつだった信憑性は高まっても、かつて文字の可能性があると考えられた記号はやはりただの記号と考えるのが主流になったり、あくまで文明でなく文化であることや影響範囲の限界が見えてきたり、色々現実が明るみになってしまった感はあるかも。いくらドナウ川文明が遺跡の残りにくい木の文明だったとしても、今では痕跡からかつての住居や人口の規模をかなりの精度で推定できる。印欧語族到達以前の古ヨーロッパという概念に関しては、到達が青銅器時代のいつなのかそれとも新石器時代なのかで諸説生まれて、未だにどの社会変化と結びつくのかははっきりしない部分がある。マスターキートンはたぶん青銅器時代派。

いわゆるケルト人は、イギリス諸島の巨石文化の担い手かもと近世の一時期考えられたことがある。でもその後巨石文化はいわゆるケルト文化とは無関係でそれ以前の文化によるものと判明して、マスターキートンでもそうなっている。だけど今ではイギリス諸島の先住民による巨石文化の発展に 中期以降影響を与えたビーカー人という移住者が、いわゆるケルト人以前にヨーロッパに広がり、ケルト祖語の祖となる言語を話していた集団だったというのが定説になりつつある。それなのに後に入植したとされる狭義の大陸のケルト人グループと区別するためか、一般的にビーカー人をケルト人とは呼ばないから、イギリス諸島の巨石文化とケルト人は無関係のままとされるというややこしいことに。実はイギリス諸島に狭義のケルト人の入植は無かった説が有力になりつつあるとか、そもそものケルト人という定義自体の見直しとか、ケルト関係は政治をふくめて混乱が深まるばかり。

白い女神の回のホワイトゴッデスは、イギリス諸島での狭義のケルト人以前の巨石文化と、母系社会とされる古ヨーロッパのドナウ川文明との繋がりを作品内歴史として示唆するもの。有名なギリシアの白い女神も、古ヨーロッパの母系社会時代に生まれた女神を起源とする説がある。また別の学説では、巨石文化の民=ヨーロッパに農業を広めた民かつ、コーカサスを起源とすると考えられている集団。文字や冶金はともかく農業は文明の成立に不可欠な存在。作中でドナウ川文明を木の文明かつ西欧文明の起源としているからには、木の文明を巨石文化の母胎と位置付けているか、巨石文化は直接の伝播を経ずに農業伝播による共同体発展の結果として各地で自発的に生まれたとする説をとっているか。最新の研究では農業伝播の民=巨石文化の民の遺伝子は後の時代の西側のビーカー人と共通点があることが判明していて、両者に交流があった可能性は高い。ただし、渡来した時代も言語も違うので、巨石文化の民とビーカー人はイコールでは結ばれない。また、考古学で便宜上ビーカー人と呼ばれる集団は一枚岩ではないらしく、中欧のビーカー人はそうした遺伝子の特徴を持っていないのだそう。遺伝子のグループや伝播経路と文化のグループや伝播経路に重ならない部分がある。それに、イギリス諸島で現在の住人から巨石文化の集団の遺伝子がごく低頻度しか出ないのも、以前は先住民が征服された結果と考えられていたけど、現在は元からそういう傾向だったという説も強くなった。一昔前は言語の共通=民族の共通=文化と遺伝子の共通と考えられてたけどそう単純じゃないらしい。ごく少数の支配者層や変わり者が文化や言葉を伝えた可能性も想定される。ストーンヘンジの近くに建造当時に埋葬された有力者の中には、歯のエナメル質の分析ではるばるアルプスの麓からやって来たと推定されるビーカー人の男性さえいるという。当時の交通を考えるととんでもない話だ。

あとゲルマン民族中心史観の反動として一時ケルトや古ヨーロッパが汎ヨーロッパとして注目されたりもしたけど、ロマンがあっても特定の民族や文化を特別なものとして持ち上げにくくなったのも今の時代ではある。古代民族への憧憬をユートピア視に結びつけたり見直したりするのは日本の縄文文化とかでもあって、こういうのはどこでも同じかも。キートンがあれだけ力強く古代への、わからないものへの夢を語れたのはあの時代だったからなのかもしれない。だけど古代にヨーロッパの中央から西の果てまでやって来たひとりの男の人生について、今うかがい知ることができるようになったのも、最新の科学技術のおかげではあるんだろう。