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中島みゆきさんの『ファイト!』が好きだ。個人的には、この歌を聞いていると群青というイメージが湧いてくるので、少し前は特に繰り返し聞いていた。

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『ファイト!』に散りばめられたエピソードの真に迫った描写から、中島みゆきさんは自分の下に届いた相談の手紙を丸写しして歌詞を書いたのではないかという憶測がたったこともあるらしい。でもインタビューによれば手紙の内容をそのまま歌詞にするような失礼なことはしていないという。ただ読んだ手紙の内容を自分なりに取り込んで、お返しする言葉も含めながら書いた歌ではあるとのこと。1番の学歴を理由に仕事を任せてもらえずに苦しんだ女の子のエピソードを思わせるようなお便りは、中島みゆきさんがパーソナリティを務めたラジオで取り上げられていた。

自分は上の学校へ進むことを悩むような世代でもなかったし、むしろ母は自分をいい学校に行くように勧めてくれた。ただ、四兄弟の末っ子である母は、自分たちは高校に進ませてもらえなかったからせめて下の子だけでも高校に行かせてやってくれと上の兄弟たちが親に頭を下げて、やっと地元の高校に通えたと、そう繰り返し教えてくれた。数年で高校進学率が大きく変わる時期だった。味噌を送ってくれた伯母が母の姉だ。

『ファイト!』は応援歌だ。聞く度に考えるのは、自分は応援される側なのかそれとも応援する側に留まったままなのかということだ。はじめの二段落分、最初の「ファイト!」の掛け声が入るまでの部分で自らを語る若者たちは、闘う側の人間であり応援される側の人間だと素直に受け取れる。1番の語りの後の「ファイト!」は、作詞者でもある中島みゆきさんやこの歌を歌う人間からのエールということになる。しかし2番で流れに打たれる魚を語る誰かはただ魚を眺めているだけだ。海になったあいつを語る誰かはこの時に闘いの出場通知を抱きしめていない。3番で東京行きの切符を送ったことを語る誰かも故郷から出る夢と切符を託して手放してしまった。彼らの語りの後に続く「ファイト!」は、自分で何かを叶えることを諦めて、ただ応援する側に回ってしまった人間の叫びなのかもしれない。1番で既に語られていた「私の敵は 私です」という言葉は、闘いをやめてしまう、あるいは最初から闘いすらせずに諦めることを決めるのは、いつだって結局は自分自身でしかなかったことを示している。闘う人間を笑おうとする「闘わないやつら」の中に自分はいるのかもしれない。

だけど、最後の4番で語りは闘う側の人間にもう一度戻る。そして「諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく」という歌詞に続く。だから最後の二段落の「ファイト!」は応援する側からされる側へのエールというだけでなく、今は応援する側に回っている人間もたとえ夢を一度諦めたとしても夢を持つことまでは諦めずにまた闘う側に戻るために自分を奮い立たせているエールとも受け取ってもいいんじゃないだろうか。「闘う君」とは目の前にいる誰かであり、自分だ。

『ファイト!』は誰もが誰もを励ます歌であり、自分と闘うために自分自身へ捧げる歌でもあるのだ。

この歌が発表されたのは1983年。まだ切符が新しい場所へ向かうことのシンボルとして、手触りのある実感が伴っていた時代でもある。