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愛を選べ

ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

 

 舞城王太郎先生の作品は愛の選択をしなくてはならない場面がよく出てくる。2人の女のうちどちらを選ぶか。今の家庭と昔の家族とどちらを選ぶか。女と世界とどちらを選ぶか。『ディスコ探偵水曜日』でも主人公は愛の選択を迫られる。

セカイ系の直球、いうより、メタ・セカイ系? 作中の描写の執拗さを見る限り、天然のセカイ系ではなくてセカイ系がどういう需要と批判をされてきたか理解した上でのセカイ系だと思う。カバーイラストを初音ミクのキャラクターデザインで知られるKEIさんが担当している点からしても、本作はあえての狙いすぎを突き詰める作品だというメッセージが明白だ。レーベルはライトノベルではなくあくまで新潮社の小説。狙いすぎだろうがあざとかろうがなんだかんだ好きなものは好きなのだ。

 セカイ系の「いたいけな少女を虐待から救えない社会は間違っている」という正しい意見を「だからそんな世界は滅びて当然」という飛躍した結論に結びつける姿勢は、気持ちはわかるから好きじゃない。でもわかっててあえて書くならそういうものだろう。

なにせ作品自体が凄いボリュームだからメモも長くなってしまった。

 この作品は究極的には「35歳のアメリカ人迷子探偵ディスコ・ウェンズデイと6歳児の日本人山岸梢が結ばれるためにはセカイをひとつ滅ばしてまた新しくつくるくらいの労力が必要」という作品である。それ以外は莫大なスケールの膨大なおまけだ。自分はそのおまけのメタミステリ部分が楽しかった。ツイストにつぐツイスト。

根本的に壮大な自作自演の葛藤の物語であり、その葛藤が運命の相手である小枝=梢と愛を確かめ合うことであっさりと終わる物語である。見立てと命の数のインフレのバカバカしさは『九十九十九』で扱ったとおり。バカバカしさもすべてが織り込み済みだ。ドライブ感のある一人称の文章のみで構成されているから作品として成立している。

最初に悪人と思われたパンダラヴァーは実在しない。しいて正体を考えるなら、魂を押しのけてしまった梢とパンダラヴァーとしての痕跡を残したディスコ、原因となった『黒い鳥の男』ということになる。だが『黒い鳥の男』の正体はディスコ自身だ。

次の敵だったSSネイルピーラーの正体はディスコ自身の気持ちだ。その次のムチ打ち男爵も同じく。

最悪の敵かと思われた『黒い鳥の男』の正体はディスコ自身の恐怖であり罪悪感の裏返しだ。悪という存在そのものだったかもしれないとディスコは疑っているが、どのみち小枝=梢という理解者がいれば恐れるに足りないものだ。『黒い鳥の男』はフェンリルである水星Cに飲み込まれる。水星Cはディスコ・ウェンズデイと同じくオーディン(メルクリウス)でもあり、ディスコの分身のひとつといえる。

ディスコと梢は家族関係が希薄で、年は離れているが「大人ではない者」同士身を寄せ合う関係になっていた。17歳の頃の記憶を元に脚色された悪夢の中でディスコは「大人じゃないけど、子供じゃない」年頃で、子供の味方する人間として自分を位置付けていた。35歳のディスコもそんな感じの人間だ。ディスコは迷子探偵で、迷子を探す探偵で、『ベイビー、あんたが探してんのは結局あんた自身なのよ』的に迷子な探偵だ。

『黒い鳥の男』が梢に性的虐待を行ったのはディスコが小枝=梢に触発されて抱いた性愛とその罪悪感の裏返しでしかない。『黒い鳥の男』の性的虐待により梢は6つの人格をつくり、その人格に魂を押し出された6人の女子中学生の肉体を利用して『黒い鳥の男』が実体を得る。『黒い鳥の男』はディスコを「お父さん」と呼ぶ。何度も繰り返した「弱いとは悪か?」という問いは、小枝の「弱いのは、あんな奴の言葉を使うのは嫌だけど、ま、悪いことなんだと思ってていいよ。だって人は他人といるだけでも強くなれるんだから」という回答と、ディスコの「経験は人を強くする」という自己肯定で折り合いをつけられる。

『黒い鳥の男』が『梢式』をスタイロンに教えて広めたことでディスコは世界中の子供を拉致して親から引き離す存在となるが、これも無意識の自作自演ということになる。つまりは自分と、誘拐されて以降実親と疎遠になってしまった梢の関係を肯定するため、それをそのまま全世界の子供たちに適用させたわけだ。数のインフレーションは個々の特権性を剥奪する。「人間の攻撃性っていうのは絶対に満足しないんだ。お腹いっぱいになったりしないんだ。常にもっともっとなんだよ」というのはディスコの裏返しである『黒い鳥の男』のセリフだ。ディスコミュニケーションという和製英語が「家族同士の意思の疎通がうまくいってないこと」を指すと第二部でわざわざ言及されたとおり、ディスコ探偵は親子の意思の疎通を遮断する探偵である。

物語で最も大きなウェイトを占めたパインハウスでの暗病院終了(三田村三朗)殺人事件も最終的には自作自演の自殺とされる。

べらぼうにスケールがでかいから目を眩ませられるけど、作中の結論はごく普通の内容だ。人は仲間と一緒に特定のものを選んで救い、残りは良いところもあるけど結局腐らせて終わらせるのが当然のものと見なすしかない。選ぶ基準は倫理という名の好き嫌いで、つまりは自分を主神とする宗教だ。ディスコ・ウェンズデイは北欧神話の主神であるオーディンなのでセカイの倫理を定める権利がある。洪水から逃れるための方舟に乗せるように、あるいはラグナレクから逃れるためのギムレーに住まわせるように、自分の好きな人間だけを選んで新世界へ送り込む権利がある。好き嫌い=倫理だという乱暴な理論は作中でわざわざ言及されていて、そういうお約束で本作を読んでねという姿勢は示されている。

ディスコ探偵水曜日』ではディスコが神とされているものの、同時に梢や仲間の探偵たちも神に準じる力を持ち、作中で実在する存在として扱われている。これはオーディンを主神とする北欧神話多神教であることに基づいているのかもしれない。ディスコも梢=小枝も探偵たちも、人間離れしたキャラであって人間ではない。ディスコの「でももし俺が勝手に輪っかにしちゃったせいで新世界の方にも何らかの《永劫回帰》が生まれてそのうち腐っていったとしたら本当に申し訳ないんだけど、まあ人間のやることだ。許せ」とは何重にもツイストしたセリフだ。

ここで文脈を読まないとならないのは、『ディスコ探偵水曜日』があくまでディスコの一人称で語られており、ディスコにとってのセカイのみしか書き記されない小説という点だ。本作では「文脈を読む」という言葉が何度も繰り返される。ディスコたちの宗教があくまでディスコたちにとっての宗教である(だが確実に特定の人間を救う宗教でもある)ことは他の舞城作品との比較を通じて示される。現実世界で信仰されてきた神はオーディンだけではない。

本作では何度も他の舞城作品のタイトルが引用される。特に多く引用されている『九十九十九』は、本作と正反対のセカイと神と宗教を扱う。

九十九十九』は家族関係の運命性・必然性に重点を置いた作品だ。1話ごとに設定が変わる小説の中で、主人公の義兄弟と実母の設定は変わらない。主人公の息子である三つ子の名前も変わらない。クライマックスでは主人公の実父=主人公=主人公の三つ子の三位一体→神という構図の解明と、義母として認識していた人間が実母だったというどんでん返しに焦点が当たる。反対に男女の愛は選択の結果生まれるものである点を強調され、話数が変わるたびに主人公のパートナーの女性が変わる。主人公は何度も複数の自分たちと逡巡を繰り返しながら、最終的に現在の自分にとって都合の良い世界がすべて小説の中の虚構でしかないことを悟って現実の西暁に戻って行くことを決意する。最後の晩餐を虚構の妻・虚構の三つ子・実母である義母ととも囲むシーンで物語は終わる。九十九十九アブラハムの宗教的な唯一神なので、『九十九十九』の世界はすべてが九十九十九によってつくられている。

ホラー小説である『淵の王』の中島さおりの章も、何を選んで何を選ばないか、という部分で『ディスコ探偵水曜日』とは別の答えを探している。

 

舞城先生のメタミステリの神と主人公

煙か土か食い物

神→ジャワクトラ神。

  • 正体は奈津川二郎。高校生の時に行方不明に。
  • 児童虐待の被害者であり、周囲に対する加害者。
  • 主婦連続殴打事件の犯人を操る黒幕。現在は川路夏朗という偽名を使用。

主人公

  • 奈津川四郎。家から独立して外科医に。
  • 年のやや離れた二郎に憧れがあり、二郎のことは家族の被害者だと思っていた。
  • 物語のラストで現在の二郎が家族や社会への加害者となったことを認識したが、これ以上事件を起こさないならば二郎を放っておきたい。

『暗闇の中で子供』

神→ジャワクトラ神。

  • 正体は河合洋二という設定。河合洋二は「川路夏朗という偽名を使う奈津川二郎」になりすまそうとしている。

主人公

  • 奈津川三郎。家に留まるダメ高等遊民。小説家。ペンネームは愛媛川十三
  • 作中で語られる内容は二郎のいうとおり嘘だらけ。矛盾だらけ。作中事実を二郎が大幅に脚色して書き記しているようで、本当の事実は不明。
  • 年の近い二郎の非行を近くで見ており、二郎のことは社会に対する加害者だと思っていた。
  • 父親だけでなく家族の全員が虐待の加害者であったと認識する。物語のラストで二郎は家出の際に死亡しており、家族全員に食い物にされたと考える。

 

世界は密室でできている。

直接的な神は出てこない。三郎の作中作風。子供たちは家庭という密室=世界からの脱出を図って生き延びようとする。

ディスコ探偵水曜日』でも愛媛川十三の作品として名前が出るが、言及される内容は違う。ルンババ12と西村友紀夫も登場。

 

九十九十九

神→アブラハムの宗教的な神

主人公

  • 九十九十九。小説の世界が虚構だと知りつつも、実感としては現実なので、妻子や義母である実母と暮らすこの世界から離れることが名残惜しい。

 

 『ディスコ探偵水曜日

神→北欧神話の主神であるオーディン

  • 正体は主人公であるディスコ・ウェンズデイ。主神であって創造神ではない。
  • 「倫理」に基づいて自分の選んだ人間を新世界に送り込む。
  • 旧世界は腐らせて終わらせるが好ましい人間もいる。

主人公

  • ディスコ・ウェンズデイ(Disco Wednesdayyy)。迷子探偵。
  • 「いいか、梢のことだけを考えろよディスコ!あの子こそがお前の本当の守護者、お前の道を明るく照らしてくれる女の子なんだ!」

 

id:INVADED イド:インヴェイデッド』

神→一神教的な神に憧れる人間

  • 殺人犯はみな井戸という自分を神とするような世界を持っている。
  • 複数の殺人犯をさらに神のように操った殺人教唆犯がジョン・ウォーカー。
  • ジョン・ウォーカーの動機は『九十九十九』で言及された「人は小ささや限りを嫌う」という内容そのまま。ミヅハノメ捜査を広範囲で行いたいというのは大義でありエゴ。

 主人公