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メタセカイ系?

90年代の半ばに新世紀エヴァンゲリオンが発表され社会現象となる。それに影響を受け、思春期的な自意識と世界の関係に焦点をあてた作品たちのブームが広まると同時に嘲笑も買い、セカイ系というレッテルがゼロ年代に自然発生的に生まれる。だから初期にセカイ系として括られた作品を手掛けた作家たちは、当然セカイ系を書こうとして書いたわけではない。天然ものが本物だった。
その点でいうと、ゼロ年代後半にメタミステリを書く作家が発表した『ディスコ探偵水曜日』は、明らかにセカイ系という枠組みを意識して書かれたセカイ系だ。だからメタセカイ系といってもいいと思う。
最初は批判的なレッテルだったセカイ系という言葉が生まれたのは2002年だという。涼宮ハルヒシリーズはちょうどその直後に、セカイ系の構造をメタ的に扱うライトノベルとして発表された。SFラブコメディであるこのシリーズは既存のSFやライトノベルのパロディ要素が強い。そしてヒロインの涼宮ハルヒには世界の法則にまつわる特殊能力が備わっているが本人は無自覚で、通常のセカイ系主人公が持つような世界と自意識に関わる葛藤を抱えている。語り手でいわゆるやれやれ系主人公でもあるキョンハルヒの能力を知っているが、世界の危機を避けるためにその能力をハルヒ自身には気づかせないように取り計らうことになる。本来のセカイ系のヒロインと主人公が合体したようなヒロインであるハルヒに対し、主人公であるキョンが一歩距離を置きながら観察するというメタ的な構図になっている。ハルヒの日常と非日常への屈折した感情が生み出すドタバタコメディ。一方でハルヒは「ただの人間」であるのキョンに思いを寄せてもいて、現状が続くことになんだかんだまんざらではない。映画『ビューティフル・ドリーマー』に似た構造を持ち、実際作者はこの映画の影響を強く受けているそうだ。ハルヒシリーズのアニメを日常系萌えアニメブームの火付け役と見る意見も多い。ちなみに本来のセカイ系のヒロインに割り当てられていることの多い属性(人工的・兵器的・儚げ)はサブヒロインの長門有希が受け持っている。