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色々な雑記。

セカイ系は定義を広げすぎるとSFは全部セカイ系では?とか、文学は全部セカイ系では?みたいなことになるので自分は狭めに捉えている。でも例えば村上春樹セカイ系「的」な特徴を持った作家、のような使われ方をする分には異論はない。
よくセカイ系は社会を書いていない作品だと言われるし、そう定義されることも多い。だが実際にセカイ系と言われる作品群を見ると地域社会レベルの社会ならむしろ丹念に書き込んでいることも多い。少年である主人公の視点から見える地域社会でしかないという意見なら正しい。
むしろ地域社会と彼女を天秤にかけるという普遍的な駆け落ち、心中の構図が、なぜか世界と彼女を天秤にかけるという馬鹿馬鹿しくスケールの大きな構図とすり替わっているのがセカイ系の醍醐味とも言える。
文明化前の人類は、現在の狩猟採集民と同様、数十人から百人を大きく超えない程度の集団で生活していたとされる。200人以下が自然に生まれる集団のサイズの限界だろう。これ以上の集団を作るのなら人工的な思想、宗教やイデオロギーが必要になる。
そしてセカイ系に欠けていたのは社会ではなく宗教やイデオロギーの方だ。
手触りで結びつく社会を超える社会を人工的に築き上げるために生まれた宗教やイデオロギー、つまりフィクション、それらが崩壊した時代の忌み子がセカイ系だった。