メモ帳用ブログ

色々な雑記。

広川も浦上も方向性は違うが自分の思い込みで人間の間引きを正当化している。新一は人間の異種との向き合い方という思想面で最大の敵だった広川と直接対峙することはできなかった。その代わりに自分自身で広川の思想を克服した後で浦上と対峙することになった。現在の人間社会は不自然で人間同士の殺し合いこそが本能だと浦上は主張する。
浦上は第4話に登場した動物園から脱走したライオンに似ている。本当の野性の心を持っているわけでもなく不必要な殺戮を繰り返す。だが殺戮により一定程度野生の勘を磨いてもいる。野性の勘、人間と寄生生物を見分けて力量を把握する能力の磨き具合でいえば、ライオンより浦上のほうがやや上だ。
人間本意な分、浦上の主張は広川の主張よりも否定が難しい面がある。人間の暴力が本能に基づくものでないとは言えない。作中でも殺人を楽しんでいる節のある人間は浦上だけではない。村野の意見は正しいが正しすぎる極論だ。だが浦上が人間という種の正しいあり方を自分だけが知っていると思い込みたがり、野性の生物に近い立場からの承認を得たがったのはまさに人間特有のうぬぼれと言っていいだろう。作中でも利己的な遺伝子について言及されていたように、生物は決して種を守るための本能など持ってはいない。以前に「人類と寄生生物のちょうど間にいる」存在として新一の意見を求めた寄生生物・島田は、新一との戦闘を避けるために自分が殺人を続けていることを隠していた。野性としてはそれが賢明な判断だ。自分や血縁者、あるいは縁の深い仲間の生存に不必要な同種殺しを繰り返し、挙げ句自己正当化に走るのは不自然な行為といえる。