メモ帳用ブログ

色々な雑記。

開かれた社会とその敵
ひらかれたしゃかいとそのてき
The Open Society and Its Enemies
批判的合理主義の代表的思想家である C.R.ポッパーが,ファシズムマルクス主義という2つの全体主義の思想史的源泉を探究した政治哲学書。 1945年刊。ポッパーは呪術的でタブーに満ちた「閉じた社会」と,批判的な態度をもち知性による非暴力的改善を目指す「開かれた社会」とを区別し,前者から後者への移行を押しとどめ閉じた社会にとどまろうとする哲学的伝統こそが全体主義をもたらすと批判した。具体的にはプラトンヘーゲルマルクスがこうした伝統に属する哲学者として厳しく分析されている。
開かれた社会とその敵とは - コトバンク

この例でいうと、ネットの魅力には、開かれた社会の知性による魅力と、閉ざされた社会の暗黙の了解(半年ROMってろ的な。象牙の塔的というか、攻殻SACの笑い男的というか。目的のための手段としてタブーがあるというより、タブーを守ること自体が目的化されている)と呪術的な魅力の両方があるように思う。そんで大昔のネットの自由さと呼ばれていたものは、実は開かれた社会の自由というよりも閉ざされた社会の内輪的な無法さだったんじゃと思う。ネットやってる狭い層は誰でも先行者知ってたりするような内輪感。先行者ネタとか、低俗と内輪受けを極めたようなネタだった。家がネットに繋がったばかりの2000年頃に流行っていたネタだから、自分にとっても先行者は思い出深いことは思い出深い。先行者の中華キャノンなんて低俗すぎて引くわー、リアルの知り合いとは共有できないネタだわー、みたいなポーズを内心で取りながらも、内心の内心で面白がるには悪くなかった。同じ頃の朝目新聞朝日新聞ではない)とかジョジョ立ちのサイトのノリとかには普通に引いてたな。
一昔前のニコニコ動画もオタクの内輪受けで流行ったネットコミュニティだ。初音ミクとか一部のネタは開かれた社会に進出していったけど。今のVTuberがどっちなのかはよくわからん。
自分はオタクなのでオタクの字義の通りに適度に閉じた内輪受けのノリは心地いい。グレーゾーンのぬるま湯も嫌いじゃない。もしネットが整備されすぎて、清潔と安全のためにブランコすらなくなった公園みたいになったらつまらないと思う。でも有害な陰謀論を撒き散らすエコーチェンバーはノーサンキュー。