メモ帳用ブログ

色々な雑記。

話し合いの通じる平和な世の中を成立させるためには、話し合いに応じない暴君を処刑するしかない。平和は暴力的な者の排除という暴力に支えられている。これは古代から未だに解決できていない人間社会のジレンマだ。
そういう意味で言うと、侵攻という暴力も、侵攻した側が国際社会の話し合いを重視し、侵攻された側が話し合いを拒否したのならまだしも正当性の主張のしようはある。逆に侵攻された側が国際社会の話し合いを重視し、侵攻した側が話し合いを拒否したのなら正当化のしようがない。この場合、侵略者は現在の国際秩序そのものが偽りであり自分は被害者だという自己正当化をすることになる。相手を舐めて暴力に訴えたくせに自分こそがいじめの被害者だと振る舞おうとする。
この手の言い訳を言い訳として非難するためにも国際秩序は公正である必要がある。問題が生じたら速やかに改革を目指さなければ、秩序を名乗る側こそが圧政だと批判されても致し方なくなる。