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北九州監禁殺人事件と同じように異常で暴力的な家長が一家を支配していたことが発端となって起きた事件。ただしこの事件の場合は監禁された娘が思いあまって家長を殺害している。
当時は尊属殺重罰規定があり、尊属(親や祖父母など)を殺害した卑属(子や孫など)には無期懲役または死刑に処されることになっていた。尊属殺重罰規定はこの事件を契機の1つとして違憲とみなされるようになり、削除された。
被告人である娘は第一審判決では刑を免除された。控訴審判決では懲役3年6月とされたが、上告審判決で執行猶予が付された。


京都産業大学 → 法学部 → 憲法学習用基本判決集
第一審判決
事件に至るまでの経緯が詳しく確認されている。父親は娘に暴行を加え、止めようとした母親にも暴力を振るった。逃げ出せば無理矢理連れ戻された。その状態は長期間に及んだ。
控訴審判決
暴力を振るわれていたとはいえ、娘が父親と同居していた点が重視され実刑判決となった。
上告審判決
控訴審判決に対して「皮相の見解の下に急迫せる侵害がなかつた旨および被告人に防衛の意思がなく、却つて攻撃の意思があつたなどと認定し、事実を甚だしく誤認して第一審判決の過剰防衛の認定を退けている」とし、執行猶予を付した。


当時の弁護士(息子)のインタビュー。
「父殺しの女性」を救った日本初の法令違憲判決:日経ビジネス電子版
『尊属殺人罪は違憲か合憲か? 親子二代にわたる執念の戦いが日本の裁判史を塗り替えた 大貫正一弁護士ロングインタビュー』 - 弁護士ドットコムタイムズ
当時の弁護士(父親)の経歴。
大貫大八 - Wikipedia


こういう事件でも殺害された父親に同情する人間がいるのはわからなくもない。父親も幼少期は恵まれない境遇にあったようだし、従軍経験によってPTSDを受けていた可能性もある。ただ被告人の母親や妹たちを責める声があるのは、父親や当時の社会の責任をなすりつけようとしているようにしか思えない。父親と娘の異常な関係が「近隣はおろか多くの人々の知るところとなっていた」ことは控訴審判決でも触れられている。それでも親戚や近所の人間が父親を止めることはできなかったし、警察や行政などが介入することもなかった。