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色々な雑記。

Arendt Platz Arendt Platz 第3号刊行によせて

●シンポジウム「哲学と政治――フランス・イタリア思想におけるアーレント
ハンナ・アレントにおける〈二者〉の問題
提題者:國分功一郎高崎経済大学


 アレントの思想において数のカテゴリーは本質的な意味を持っている。アレントが生涯追究し続けたテーマである政治と哲学の関係は基本的に数によって定義されている。政治は複数に対応し、哲学は一に対応する。
 政治は人間が必ず複数人存在するが故に要請される営みである。政治にとっての根本的条件である「複数性 plurality」は『人間の条件』では各人の「区別 distinctness」と「平等 equality」という概念に翻訳されている(HC, p.175-176/二八六頁)。人間は一人一人異なる。だから必ず人間たちの間には不一致がある。しかし人間は平等であるから、その不一致を乗り越え、同意を獲得することができる。もし人間が平等でないのなら、同意を獲得する可能性も必要もない。
 同意を得るための手段が「言葉 λέξις」である。同意を得るためには言葉によって説得しなければならない。アレントはしばしば古代ギリシアにおける「説得 πείθειν」と「暴力 βία」の対立に言及する(PF, p.93/一二六頁[「権威とは何か?」])。ギリシアにおいて前者はポリス内問題の一般的解決法であり、後者は他国との問題の一般的解決法であった。政治すなわちポリティクスは、平等な者の間での言葉による説得と同意を前提とする。したがって、暴力が現れた時、政治は消える。暴力は有無を言わさず人びとを従わせることができるが、同意をもたらすことはできない(CR, p.152/一四二頁[「暴力について」])。説得と暴力の区別が、複数人がかかわる営みを、政治とそうでないものとに分ける。複数人がかかわれば必ず政治であるわけではない。
 政治が扱うのは「意見 opinion, δόξα」である。意見(ドクサ)は「私にはそう見える δοκεῖ µοι」に由来する。私にどう見えるかが問題となるのだから、意見は必ず多様である。先に述べた人間の複数性あるいは区別は、政治の場面において具体的にはこの意見の多様性として現れる。必ず多様である意見なるものにアレントが対立させるのが、哲学の扱う「真理 truth, ἀλήθεια」である。真理はその妥当性を主張する仕方において意見と鋭く対立する。というのも、「真理はそれ自身のうちに強制の要素を伴っている」からである(PF, p.155/三二五頁[「真理と政治」])。アレントはこのことをややユーモラスに説明して、真理を語ることを職業とする者には驚くほど顕著な暴君的傾向があると言っている(ibid.)