メモ帳用ブログ

色々な雑記。

ウイルクの印象って、半ばギャグだけど、第28巻収録の前巻までのおさらい漫画を読んでるかどうかでも変わってくる。自分は、ウイルクは変わってしまったというのはキロランケの現実逃避が入ってるんじゃないかと思った。
ユルバルスが一度投げ入れそこねた爆弾を改めて皇帝の馬車に押し込んだのはウイルクだった。ユルバルスロシア皇帝暗殺犯にしたのはウイルクと言っていい。既に明らかに成人だったウイルクは、15歳だったユルバルスの将来を潰したことを意識する部分もあったかもしれない。運動の指導者であるソフィアには尊敬を、ユルバルスには兄貴分としての責任を、特別な感情として持っていてもおかしくない。仲間たちの未来を犠牲にしている以上、自分は何かを成し遂げて責任を果たしたい。
だがいくら金塊を得たところで極東連邦という夢はあまりに大きすぎる。ならば叶わぬ夢を信じるふりをするよりも、叶う範囲まで夢を縮小するほうが誠実かもしれない。潜伏を兼ねた北海道でのアイヌとしての生活はユルバルスにも気に入ってもらえたはずだ。ユルバルスに路線変更がばれたとして、ついてきてくれるならそれでいいし、決裂してもそれはそれでいい。社会運動から足を洗い、自分の奪った当たり前の生活を取り戻してくれるはずだ。
おさらい漫画の印象を真に受けていいなら、ウイルクが極東連邦から北海道独立に軸足を移した理由が「地政学的に合理的だから」というのは本心の1つだ。
その上で、ウイルクがリラッテと心から愛し合ったというのも本当だろう。第205話でウイルクはリラッテと正式に結婚するために日本の戸籍を取得しようとしていたという証言がある。作中で述べられているように戸籍を取れば徴兵される恐れがある。さらにロシアで指名手配されているウイルクにとって、日本の公的機関に接触することは大変な危険が伴ったはずだ。もしアイヌの村に潜伏するためリラッテと関係を持っただけならそんなことをする必要はない。ただの事実婚では納得できないくらい、ウイルクにとってリラッテは合理を超えた特別な女性だった。
他方で結果的に見捨てたソフィアのことも忘れてしまった訳ではなかった。ウイルクがアシㇼパに「誰かに戦わせ安全なところで生きる無責任な娘ではなく 茨の道を自分で選び幸せを掴もうとする娘になってほしい」と願う影には「ソフィアのように…」という思いがあった。ウイルクなりのソフィアに対する贖罪の念が含まれていた。
もとからウイルクは愛がない男というよりも、愛した相手と愛していない相手、愛した中でもより愛している相手、そうしたものを合理的に割り切れる性格だったのではないかと思う。愛の取捨選択がはっきりしていた。
そもそも合理的なだけの男だったら革命家なんて道は選ばない。権力者に取り入って自分の民族を迫害する側に回ったマイノリティなんて歴史上いくらでもいる。そちらのがよほど合理的だ。ウイルクには民族に対する誇りと愛があった。そして自分の民族と妻・娘の民族、両方への愛と合理性、それらを天秤にかけて、北海道独立計画を実行しようとした。