メモ帳用ブログ

色々な雑記。

百年前の事件について自分が理解できていなかった部分を整理。


小説版によれば、1901年(明治34年)の記録では既に東の要石は東京に置かれていた。関東大震災は史実通りに1923年(大正12年)9月1日11時58分に起きたようだ。早朝に使者がやってきて草太の祖父の師匠は事態収集に呼び出された。その際の閉じ師たちの動きについて草太は「東京の要石がある場所には、巨大な後ろ戸もあるという。百年前に一度開き、関東一帯に大きな災害を起こし、当時の閉じ師たちによって閉められたという、東京の後ろ戸」と語っている。これ以外の説明はない。おそらく関東大震災では要石を使ったミミズの封印は行われず、閉じ師たちの祝詞や術により鎮圧が試みられた。東京に要石があってさえミミズ(の胴体?)が東京の後ろ戸から出てくる非常事態であったため、東京の要石を抜くことは危険すぎたのだろう。察知されたのが当日の早朝なら西日本の要石を抜いて運んでくる時間もなかったはずだ。
なお1783年(天明3年)の浅間山大噴火の際は出てきたミミズを閉じ師が要石を使って封じており、その記録を草太が確認している。この要石が関東甲信越に概念的に刺さった後、皇居の地下で実体化しているのが1901年以前に発見されたということだろうか。
東北の災害も、関東大震災のように要石が2つ刺さっていても食い止めきれない類のものだったというのが作中の扱いのようだ。巨大な後ろ戸からはミミズの胴体が出てきてしまう?