メモ帳用ブログ

色々な雑記。

神戸に滞在した日、


本来なら草太は教員採用二次試験を受ける予定だった。しかしとても受けられる状況ではなくなった。遅くとも前日の夜には理解するしかなかっただろう。閉じ師としての失敗で教師の夢が遠のくことには、草太だって思うところはあったはずだ。だが鈴芽が閉じ師は大事な仕事だと言ってくれ、改めて実感させてくれた。閉じ師でいたって不幸にはならないのだと思わせてくれた。鈴芽との出会いは自分にとって紛れもなく幸いだと信じられた。
だから草太は試験が未受験に終わったその日の晩に、教師を目指していて閉じ師も教師も両方やるつもりだと鈴芽に言えたのだと思う。
自分は最初閉じ師としての草太にポツンと一軒家的なイメージを持っていた。苦労は多いかもしれないが、これはこれで清々しい。責任も重いが自分がやるしかないと開き直りやすい。だが閉じ師はまだ複数の家が残っており、かといって草太が普段から単独であちこちを回らなければいけないほど人員に余裕はなく、むしろ限界集落のほうがイメージに近いようだ。家業を継がず日本を衰退へと一歩進めるが早々の破局を招くわけでもない選択肢がある自由は重い。
他人がいるがゆえの協力と圧力がそこにはある。
閉じ師や関係者が身内に向けて閉じ師の仕事の意義を語ったとする。本心からの言葉だとしてもわざわざ口に出した時点で、やりがい搾取気味で先細りなこの仕事を続けるために自分で自分に言い聞かせる意図や、ただでさえ限られている成員が減ってこれ以上自分の負担が増えないように説得する意図が、どうしても言葉に乗ってしまう。そうした意図が乗ることを発言する側も意識せざるを得ない。只人に理解されない秘密を抱えた者同士の関係があり、閉塞感がある。かといって閉じ師の役目が時代に求められていないことや廃業について率直に語っても、直接的に辛くなるだけだ。
それに対して部外者である鈴芽の閉じ師への称賛にはなんの含みもない。しかも鈴芽は打算なく行動する少女だ。船で現状を招いたのは君のせいじゃないと言った時も、船から降りて家に帰るよう言った時も、後ろ戸を閉じながら君は死ぬのが怖くないのかと聞いた時も、鈴芽はひたすら前のめりに協力してくれた。そんな鈴芽からの「大事なこと」という言葉は、草太の胸にまっすぐに届いた。
ところで新海監督のティーチインによると、本来東で活動している宗像家の草太が九州に赴いているのは西の閉じ師が異変を察知したが事情があり代わりに行くことになったためだという。これを自分が最初に知った時は、別の大きな異変に総員で対応しているなどのいかにもオカルト的で喫緊の事情でもあったのだろうかと想像した。だが意外と、家業でなく稼業の方で外せない用事ができた、知人の結婚式のために遠出する、家族がコロナに感染した、などの生々しく個人的な事情がたまたま重なり、対応がたらい回しになった挙げ句、草太が引き受けるしかなくなった可能性もある。だとしても、草太も教師になりたいという個人的な願いを持つ者として、彼らの望みそのものを否定することはできない。