メモ帳用ブログ

色々な雑記。

映画『海獣の子供』はカルト的な人気のあった原作漫画(なにせ掲載誌はあの『月刊IKKI』だ)をファミリー映画に変換としていたが、やはりできたものはカルト的な映画だった。ハイクオリティだったし、自分のツボにはハマったから自分得映画ではあった。強いて不満を挙げるなら、映画ではドラマ性やストーリー性の純度を上げるために削ぎ落とした民話・怪談風パートが原作では一番好きな部分だったのにな、というくらい。特にブラックマンタの「目」の話が好きだった。ああいう生きあって終わるだけの話はなんの「お話」にもなっておらず、生きて帰りし物語とか生まれ直しとかの人間が世界を解釈するために作り上げた神話的構造だのすら持たない。世界の断片をそのまま写し取った手触りがある。人間が解釈という檻で自らを守った気になっていても、隙間から素のままの世界に目を向けてしまえばこうなるのだと伝わってくる。そしてお話でもなんでもない描写の切片を迫真のものとして読ませる表現力が原作にはある。
この世は大きな目で観測すればすべてが条理に則っているのかもしれないが、人間の解釈できる条理からすれば根本的に不条理なものでしかない。
ただ一方でお話というかいわゆるドラマ面には難があるから、カルト人気以上のものにはなれない作品だとは思う。世界観を見せる映画とかでも斬新なら『2001年宇宙の旅』とかみたいにヒットすることもあるけど、『海獣の子供』は原作発表時点で既に狭い界隈ではお馴染みというか古典的な世界観をハイクオリティで見せてくれるから高評価、という類の漫画だった。まして映画は原作終了からかなり間が空いてから制作されている。ただ、狭義の制作意義は薄い映画だったかもしれないけど、自分はやはり原作も映画も好きだ。
この作品で書いているのも煎じ詰めれば人間の頭の中から導かれたものでしかないから、自然そのものというよりはフランス式庭園に対するイギリス式庭園という位置付けのほうが正しいのかな。