メモ帳用ブログ

色々な雑記。

宮崎駿監督の『出発点』には高畑勲監督が寄稿している。そこでは「うんと若いころの中国への思い入れなどにもそういう側面があったが、スタジオ経営でも、彼は具体的な面白い提案をつぎつぎと思いついては繰り出してくる。まわりの者はすぐにはついていけず、宮さんに振りまわされる」と語られている。また、宮崎監督が高校生の時に日本初のカラー長編漫画映画『白蛇伝』を見てアニメの世界を志したことは有名だ。映画『白蛇伝』の舞台は原作と同じく古の中国だ。ヒロインの白娘にほとんど恋愛に近い感情を持ったという。若いころの宮崎監督が中国に思い入れを持っていたことは確かだ。

「創造的な仕事をなしとげる三つの条件がある。それは、若いこと、貧乏であること、無名であることだ」という毛沢東の言葉は宮崎監督にとって座右の銘のようだ。1982年の講演でこの言葉を引用したことが『出発点』に収録されており、庵野秀明監督も若い頃にこの言葉で励まされたことを『パラノ・エヴァンゲリオン』のインタビューで語っている。2005年のニューヨーク近代美術館での講演でもこの言葉を引用している。

一方、毛沢東全体主義的な共産主義への失望は1994年時点で隠していない。

宮崎駿監督は複雑な人間だ。少なくとも、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで万事を切り捨てられるほど単純な人間性はしていない。