メモ帳用ブログ

色々な雑記。

芹澤本の新情報でお腹いっぱいになってまだ消化しきれていない。


とりあえず芹澤と草太が対等な友人だとちゃんと確認できた。似た者同士だとわかったのは以外だけど嬉しかった。
初見時の芹澤の印象は脱思春期済みで若干女受けする方向のルートを辿った帆高、というか新海監督が自分の感性から出したキャラ、だったから大体こんな感じかなというのをわりと直球で出してもらった感じ。
草太の人間性はこの小説でほぼ把握できた。完全な芹澤視点の小説だけど、一方の草太がどう感じていたのかというのはほぼ漏れなく想像できる。
あの世界にもコロナパンデミックがあって、芹澤や草太の代は最初の2年がオンライン授業オンリーになってしまった、というのは言われてみればその通りだ。映画本編だと海外でも公開したりとかその他の理由もあってコロナやマスクにはあまり触れていないそうだ。震災を主題にした映画でコロナの脅威まで詳細に描写すると焦点がブレるだろうし。だからコロナのせいで人生に被害を受けた様子を詳細に描けたのはサブキャラクター視点の番外小説ならでは。
人の賑やかさが好きな芹澤からすればコロナのせいで他人との接触が限られる状況は辛かっただろう。
初の対面授業で隣に座った男に声をかけ、打ち解け、その日のうちに「大学での初めての友達」を作ってしまう芹澤の人たらしっぷり。芹澤はこの時感激していたけど、草太も涼しい顔して内心同じくらい感激していただろう。もしくはそれ以上に。
世話焼き高家事スキル持ち草太という真理。
草太が芹澤の心配をしたり風邪の看病をしたりしたのは、単に面倒見がいいというより、声をかけてもらえて、友達になってもらえて本当に嬉しかったから恩返しがしたかったんだろう。芹澤が上京して初めて味わったような寂しさを、おそらく草太はそのずっと前から感じていた。終わりらしいものが巡ってきた時にどこかで楽にしてほしいと感じてしまったのもたぶん同じだった。だけど芹澤は草太に看病され、草太は鈴芽から手を差し出された。
しかしこの2人は自分たちが思いのほか似ているということに気づいていない。
草太の人生にはブラックボックスが多いけど、スマホを持っていたりオンライン授業を受けていたりすることはわかった。文化活動あたりを名目にした欠席は多そうだけど、小中高にもちゃんと行っている手触りだ。クラスメイトともほどほどの距離感で接していただろう。授業以外の時間はほとんどを家業のために使う。暗号資産詐欺にもすぐピンときたし、世情に疎いということもなく、たぶん毎朝テレビなり新聞なりをチェックするような習慣が身についている。草太は常識を知った上で自分の道を選んでいる。
「自分の扱いが雑」というセリフが実は先に草太から芹澤に対してかけられたものだった、というのは意外だったし、ときめいた。小説の中の芹澤は自覚しないようにしていたっぽいけどあからさまに無理のし過ぎで辛そうだった。自分の内実には踏み込まれないようにしているけど、芹澤に対しては踏み込んだことを言ってしまう草太。こういうダブスタすれすれの人間臭さが良い。草太は芹澤に心配されることを気恥ずかしいと思っているし、いくら真心を注いでもらっても自分がそれに応えて生き方を変えられる男ではないことを知っている。でもやっぱり寂しいし、いつか秘密を打ち明けるという希望は持ちたい。ただ、自分の寂しさに芹澤が気付いてくれただけでも、草太は随分と救われたはずだ。