メモ帳用ブログ

色々な雑記。

最近の投稿のまとめみたいなもの。
新海監督が東日本大震災に大きなショックを受けたのは、やはり自分の暮らしていた東京も大きく揺れ、自分の生活にも長く大きな影響が出たからだろう。原発の問題もあり、被害の規模は甚大なものだった。世界的にも大きなニュースになり諸外国の政策にも影響を及ばした。そして日本、とりわけ揺れを感じた土地に住む者には、どうしてもこの世界に常に溢れている他の災厄とは質の異なる実感が湧いてしまった。
だが同時に、東京は直接的には大きな被害を受けることはなかった。ニュースで連日報道される「被災地」現地の有様とは全く違っていた。この当事者だが当事者ではない、という立場が当時強烈な後ろめたさとしてのしかかってきたことを新海監督は繰り返し語っている。


芹澤は500kmを超える東京から岩手までの道すがら、運転を休憩しているときにふと目の前の緑に包まれた無人の町を見て「このへんって、こんなに綺麗な場所だったんだな」だと言ってしまう。この言葉は新海監督の実感でもある。だがあまりに不用意なこの言葉により、芹澤は被災地出身の鈴芽から距離を感じられた。
実際、芹澤は最後まで鈴芽を草太のいるところまでは送り届けられず、草太を直接救うこともできなかった。鈴芽の実家まであと20kmを残したところで芹澤は足を止められる。
だが芹澤は芹澤なりの役目を果たしたことが物語として肯定的に描かれており、小説版(原作)ではそのことを芹澤も受け入れている。芹澤だけでなく、千果、ルミ、草太の祖父、もちろんダイジンやサダイジンも含め、鈴芽の道中に関わった全てが鈴芽の旅でかけがえのない役目を果たした。彼女たち、彼たちは鈴芽の事情をよく知っていた訳ではないし、鈴芽の胸中など全て理解できるはずもないが、それでも関わり合い、助け合った。
他方、草太を救った際に、鈴芽の胸の中でずっと炎に包まれていた生まれ故郷も緑に包まれた無人の町へと変わった。常世は見る者によって姿を変える場所だと作中で語られており、常世の風景は鈴芽の心象風景をそのまま表している。こうした意図は小説版や数々の新海監督のインタビューで明言されている。鈴芽はこの時に、ずっと自然によって殺された瞬間で固定されていた故郷の姿を、それから十二年経った現在の姿に更新できたのだ。故郷を風化させたのではなく、死を受け止め、直視し、悼んだ。引き受けて前に進むことを選んだ。
鈴芽は生まれ故郷である東北から現在の故郷となった九州に帰る道中、助けてくれた人々と再会し、改めて打ち解けあった。