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色々な雑記。


新海監督のコメントからもうかがえる通りに生っぽいインタビューだ。
あの震災によって世界、もしくは日本、もしくは日本社会がアポカリプスを迎えたのかはともかく、新海監督のそれまでのナラティブがアポカリプスを迎えたのは間違いない。このインタビューからは、世界に常に溢れている災厄の中でなぜ新海監督があの震災を自分のナラティブを書き換える出来事として受け取ったのかという点が垣間見れる。「将来への、人生への不安を、初めて本気で実感した経験」という言葉からは新海監督の生の感情を感じた。この言葉を裏返せば新海監督はそれまで将来や人生への不安を本気で実感した経験はなかったということだ。新海監督は若手の頃から努力と経験と成功を積み重ねてきた監督だ。未来に破局はないと思っていたから、そうしたナラティブを信じていたから、未来に向けて頑張っていけたのだろう。実際概ねその通りにうまくいったのだし、現在でもうまくいっている。そしてこうしたナラティブは新海監督だけでなくほとんどの人間も信じているものだ。
明日破局が訪れないとも限らないという確率の低い現実に気を取られていては明後日の備えを行うことが困難になる。そうなれば人間は社会を築けない。人間は自分が死んだとしても子どもや孫やもっと先の子孫や、血縁者でないしろ何らかの縁者が未来に続いて、完全な終焉は避けられることを願って生きている。だから社会という幻想を持続できる。これは完全な本能ではないが完全な知性でもない、人間の習性だ。
だが新海監督の将来に不安を感じずに済むナラティブ、つまり自分の今日は明日に、明日は明後日に繋がっており途切れずに進んでいけるという類の思い込みはあの震災で揺さぶられた。当時子供が生まれたばかりであり、自分のためにも子供のためにもそうした不安は振り払わなくてはいけない時期だったにもかかわらず、だからこそ、強い不安に駆られた。それは「当事者と非当事者が決定的に分かれた出来事」の分かれ目が、新海監督が他のインタビューで度々語る通りに「紙一重」にすぎないものだったからだ。生命が出現して以来積み重なり続け今この瞬間も生まれ続けている無数の死者のなかから新海監督が「自分だったかもしれない」と選び出したのはあの震災の死者だった。なぜあの震災の死者だったのかというと、それは同じ時代の人間だからだろうし、同じ国だからというのもあるだろう。新海監督は災害三部作でいずれも日本特有の信仰をストーリーに織り込んでいる。だが何よりも新海監督も紛れもなく東日本大震災における広義の被災者だったからであるはずだ。新海監督もあの日東京のスタジオで震災に見舞われ、一時的に避難を余儀なくされたという。新海監督もスタッフも家族も無事だったが、その日の夜以降、震源に近い地域での壊滅的な被害が明らかになってく。だから新海監督はあの震災の死者は自分だったかもしれないと感じ、そうならなかったことに後ろめたさを感じた。