メモ帳用ブログ

色々な雑記。

タッチの吉田は連載中に担当編集の学生時代の思い出話を聞く中であだち先生が思い付いたキャラだそうだけど、結果的にタッチのエンタメ性とテーマ性の両面に大きく貢献している。まず和也のコピーになりきってしまいかねない達也と、達也・西村のコピーのメッキしか身につけられなかった吉田という対比は良くできている。自分を成長させるため野球部に飛び込んだ者同士という点では、佐々木との違いも面白い。由加への片思いは達也と南の関係を描く上でも間接的にだが効果があった。吉田は敵役だし成長するところまでは描かれなかったキャラだけど、その余地は十分に予感させてくれたので登場エピソードの後味も良い。

この吉田が惚れた相手が由加だということには色々な意味でうなずかざるを得ない。

中高生はまだ男女ともに恋に恋する人間がわんさかいるお年頃。将来を真面目に考えて恋をするわけでなし、釣り合いを考えて恋をするわけでもなし、なんとなく顔や評判がいい相手にお手軽に恋をしてしまうのでモテる人間は本当にモテモテになりがちだ。そんな子供っぽい恋心でも渦中にいるうちは真剣だったりするものだけど。

タッチだと和也はモテモテだったしエースとして活躍し出してからは達也もモテモテになる。でも一番わかりやすくモテモテだったのはやっぱり南だ。ただ南は優等生なのにというべきか優等生だからというべきか、いい子ちゃんなのは間違いないんだけども結構無神経なところがある。特に自分のコンプレックスを自覚している人間の気持ちを逆なでしてしまいがちな言動が多い。そこが女性読者からのウケが悪くて、男性読者でもオタクからはウケが悪い理由なんだろうと思う。惚れてる相手以外の男にも優しくできる子はオタクウケが悪いし。余談だけど高橋留美子先生はあだち漫画の女性キャラでは南が好きだそう。

吉田は元々は引っ込み思案でオタクっぽくて、上杉達也の未知数な可能性に同学年ながら憧れを抱きながら野球部に入部したような人間だ。だからまず南に近付こうとしないのは当然だろう。その点由加は少し不良でガラッパチというわかりやすい欠点はあるけど、そこがつけ込みやすい、もとい親しみやすくて愛嬌があるし何より可愛い。由加派のオタクである自分もそう主張せざるを得ない。

吉田と同じく成長のために野球部に入部したのが達也が3年生の時に1年生だった佐々木だ。佐々木に熱い思いを打ち明けられた達也は、出遅れても努力しようとする姿にむしろ自分と重なるものとだからこその違いを感じたようで、若干の複雑な思いをにじませつつも背中を押した。インドア少年ながら吉田と違って善良な佐々木だけど、惚れる相手はやっぱり由加。

佐々木・由加・南、ついでに達也の関係を示すエピソードで特に印象深いのが野球部の合宿での夕食作りを巡る話だ。南は当然料理もお上手だけど、柏葉監督代理によって部から追い出されている現状では夕食を作りに行くわけには行かない。だから新マネージャーの由加が調理担当になるのだが由加は料理をしたことが全然なく、どうにか作った料理もとても食べられたものじゃなかった。それでも頑張った由加からすれば料理を食べてもらいたい。あくまで選手のためにマネージャーが存在することを考えればワガママでしかないとしても、そういう気持ちは誰にだってある。それに対し南は野球部員たちに自分の作った料理をこっそり食べさせるという「正しい」行動を取るし、由加の料理を指導しようとする。もちろん由加は反発して自力でどうにかしようとする。その中で南はほぼ完成の料理を作って調理室に残して行ったけど、佐々木がそれを知ってこっそり処分してしまうという事件があった。もし由加がそんなものを見れば役立たずの自分を突きつけられて惨めな思いをするに違いないからだ。そういう気持ちはこの時の南には察せず、佐々木には察せた。ただし佐々木は由加に肩入れするあまり、料理を捨てられたら悲しむはずの南の気持ちは全く考慮していない。実際、真犯人を知らないまま自分の料理が捨てられたらしいことに気が付いた南が怒って、由加と口論になってしまった。この時、達也は由加の本来もっと早くから努力すべきだったという点は自分も身につまされるものがあって、原田からは南と依存しあってもお互いのためにならないと忠告されてもいたので、由加のワガママに付き合いつつ、由加が南のアドバイスを受け入れやすいように諭してもいた。こうして由加は南の残した簡単料理のレシピに従い、努力の甲斐もあってそれなりの料理を作れるようになって、とりあえずの一件落着となる。成長のためには自分の欠点と向かい合うことが不可欠だ。

由加の努力と成長の過程はわかりやすい。由加に惚れていた吉田も、なまじ力をつけたことでそれまでに溜めていたらしいコンプレックスが迷惑な吹き出しかたをしてしまったものの、普通の人以上に努力したのは間違いない。達也に完敗して己の未熟を痛感させられた後にも、由加に「ファイト。」と励まされ、立ち直るきっかけまで貰えた。同じく由加に惚れていた佐々木は、由加を庇って怪我をしたこともあり、作中では選手としては全くいいところを見せられなかったものの、データ収集などで野球部のためによく働いて貢献した姿は印象深い。『MIX』で出た情報によると、明青は達也の後には甲子園に出場していないそうだし、もし年数をまともに考えていいなら佐々木の2年と3年は地区大会の初戦で敗退したことになる。それでも1年生の夏、下手くそな佐々木が「来年をみてください。」と言った時、由加が最初は適当にあしらったが嘲笑ったりせず、すぐに言葉に込めた本気を察してくれたこと、その点にはなんの変わりもない。

この3人だけでなく達也からしても、南は絶妙に自分のコンプレックスをくすぐられる相手だった。兄として弟に気を遣っていた面もあるとはいえ、達也は和也と比べれるのを避けてろくに努力をしてこなかった。南に並ぶ努力もしてこなかった。南には自分のそばから旅立ってほしくはないけどそれを言う資格がない。それでも駄目な自分でも受け入れてくれるのはわかっているからこそ、受け入れられるだけの自分に甘えたくない。その気持ちが達也が一度は自覚し、和也の死でまた見失ってしまっていたスタート地点なのだろう。もし南が完全無欠の包容力を持っていて達也がそれに甘えられる根性なしだったら、達也は正真正銘のダメ男になり、それはそれでも幸せな人生を送れたはずだ。和也の死だって南の胸に抱かれながら、葛藤さえも忘れてやり過ごせたかもしれない。だがあくまで南は優等生でも未熟な子供で、達也には意地っ張りでも背伸びをしようとするプライドがあった。だから『タッチ』の物語は今あるかたちで存在する。

こうした泥臭い努力や背伸びの一方で、南はスマートに成功し続けていた。正確には、始めたばかりの新体操さえあまりに器用に上達できてしまうため、頑張っているのに頑張りを周りに感じ取ってもらえない自分に鬱屈した気持ちを貯め込みはじめていた。南は挫折知らずの出来の良い子供であったばっかりに、他人の夢や期待を背負うことの重さに気付くのが遅れてしまった子であるように思う。それが幼い頃に気軽に甲子園の夢を和也に背負わせてしまった原因であり、頼まれるままに特に熱意もなく新体操の選手を引き受け、ついには全国大会出場にまで追い込まれてしまった原因であるのだろう。タッチの終盤は達也だけでなく南も他人の夢の重みに気付いて苦しみ、2人がともにスタート地点の確認をしてそれを受け入れて立ち向かうことを決める過程に焦点があたる。そしてエピローグである最終回では、最上の成果を上げて肩の荷をおろし、今は等身大の自分に戻っている2人の姿が描かれる。

あだち先生によれば『タッチ』は達也の成長ストーリーではないという。確かに達也からすれば弟の喪失とその回復、自分のスタート地点の再確認と回帰の物語というのがより正確なのだろう。ただしその隣で南は確かに成長していた。また、この文章で挙げた登場人物やそれ以外にも多くの登場人物たちが達也との関係を通じて変化し、成長していった。

『タッチ』とは達也と触れ合った人々の成長ストーリーだったのかもしれない。