メモ帳用ブログ

色々な雑記。

ゆるキャンの雰囲気の良さは要素のバランスの良さによるところが大きいと思う。雰囲気重視の作品は雰囲気っていう明確にしにくい部分が売りだけに良さを伝えたり再現性するのが難しい。ただ、調和を崩さずなおかつ退屈なだけにしないための要素の揃え方は最重要なんだろう。たとえば、ゆるキャンではキャンプのリアルな不快要素(虫とか)はなるべく目立たないようにしてるし、直接的な不快要素ではないけど恋愛要素も出てこない。自分は漫画とかの恋愛要素は好きな要素だけど、味が強い要素だけに作品によっては下手に混ぜると作風が台無しになってしまう。

ゆるキャンのキャラが将来結婚して幸せな家庭を持つ可能性があること自体は全然OKではあるんだけど、恋愛をゆるキャンという作品の中で描かれたら正直に言って嫌だね。百歩譲って犬子の彼氏の冗談が「ウソやで」じゃない場合で、一応存在はしても描写は全くない場合くらいかな。個人的にはゆるキャンでガチ百合恋愛が来るのも嫌だ。

恋愛要素を完全に排除してヒットした作品といえば少し前というかだいぶ前?にシンゴジラがある。シンゴジラは企画段階ではプロデューサーとかから恋愛要素を入れる要望もあったのを庵野監督が拒否して今の形になったという。

シンゴジラのパニック映画としての特徴はパニックに翻弄される個の視点を極限まで排除した点。恋愛要素や家族の絆みたいな要素も皆無。日本政府のゴジラへの対応を「日本の」災害対応に見立てて、集団の中で生まれるドラマに注力している。

同じ年にヒットした君の名はも同じく災害が重要なモチーフになっているんだけど、こちらは徹底して個の視点が貫かれている。少年少女が主人公のジュブナイルで、家族と恋愛が重要な要素で、災害を回避するための入れ替わりも論理的でSF的な仕掛けというよりも神秘的で個人体験的な奇跡。

どういう作風が正しいというか話ではなくて、作品ごとのバランスが大切という話。あえてアクセントを入れる場合も、調和を崩さないバランスが大切だ。ただ長編の場合は作風が途中で二転三転するのも面白かったりするし、自分は結構好きなんだけど、やるたびにファンをふるい落とすリスクは増えるんだろう