メモ帳用ブログ

色々な雑記。

先月のゲッサンの『カメントツの漫画ならず道』番外編の森見登美彦先生インタビューが面白かった。森見先生の言う「トガり死」っていうのは面白い概念だ。「トガり死」とは「作風や作家性が先鋭的すぎるあまり一部の少数ユーザーのみにウケて社会的には消えたように見える現象」のことだそう。森見先生は『太陽の塔』でデビューして以来しばらくは「腐れ大学生」ものを書いていたけど、トガり死を避けるために意識的に少しずつそちらの方面からは遠ざかっているらしい。カメントツ先生のそれじゃカルトなマニアは納得しないというツッコミに対する森見先生の「読者が不幸になっても 幸せになりたい…」という返答は正論の極みである。森見先生の作品の中では『太陽の塔』が一番お気に入りな読者の自分からしても、作品は損得勘定込みで作者が自分の好きなように書くべきだと思う。書いてて辛くなると新作も出にくくなるだろうし。もちろんマニアにしか受けない作品を書いて幸せな作家なら、それはそれでマニアも作家もWINWIN。

小説家に限らずクリエイターは激務な割に実入りが少ないイメージがある。特に雇われでなく小説家や漫画家のように作り手が著作者として全責任を負う仕事ではハイリスクハイリターンだろう。もちろん売れっ子になれれば仕事をやめて豪遊することも不可能ではないんだろうけど、本当にごく一部だ。この手の話だと、子どもの頃に読んだ水木しげる先生のエッセイで書かれてた売れない時代の極貧生活と知り合いの漫画家が餓死してしまったというエピソードが自分の脳裏に焼き付いている。もちろん戦後の混乱期だったというのも大きな理由なんだろうけど、作家というのは大変な職業だとつくづく思った。あだち先生も、売れるのは遅かったけどデビューは早かったので漫画家駆け出し仲間の食事はいつもおごっていたことや、それでもほとんどの仲間は夢を諦めるしかなかったこと、漫画家として長く軌道に乗れていた親友も体を壊してお金を残さずに亡くなってしまい、あだち先生が葬式を出したことなどはあだち充本で語っている。作家が生き残って幸せになるのは本当に難しいことなんだろう。