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色々な雑記。

日月同错(屍者の13月)は中国人が中国人向けに描いた伝奇漫画だ(中国語的な意味でなく日本語的な意味での伝奇)。中国史要素も中国的ファンタジー要素もわかっている人向けの描写で、わかっていない人向けの説明はほとんど入らない。だから自分が読む分にはわからない部分を調べないといけなくて少しとっつきにくい。歴史的背景を把握しないで読むとちょっとした描写を正反対の意味で捉えてしまいかねない。

「匪賊」をWikipediaで検索したら興味深い文書があった。

「土匪の本場」とされ、その活動が激しかったのは、山東省・河南省江蘇省安徽省北部で、とくに4省の境界が錯綜した地帯が最も甚だしかった。山東省は梁山泊で知られるとおり著名な匪賊の産地であり、「山東の豪傑ならび起こる」とは土匪の蜂起を指す。この地の土匪はきわめて剽悍で「山東馬賊」の名があり、満州事変で有名な劉桂堂ももと山東匪軍の首領であった。河南省山東省と並ぶ土匪の二大産地で、以前より大規模な土匪の軍団が現れる地であり、中華民国以来王天縦、白狼、老洋人、が出た。安徽省北部は常に人が流入し、匪賊の害も激しい。江蘇省の徐州府付近は地元のものの他、各省の土匪が入り込み、昔から土匪の巣窟とされた。この他湖北省東部、西部四川境地方も「土匪の産地」として知られた。

匪賊 - Wikipedia

この内容は日月同错の黒山村の時代背景とぴったり一致している。自分は徐州や江蘇省といえば古くから人口が多く栄えている穀倉地帯というイメージがあったけど、本場中国からすれば古くから人口が多い分古くから「土匪の巣窟」だった土地というイメージが強いのかもしれない。日月同错の世界でも1906年の徐州府は荒廃していたから高皓光はわざわざ上海周辺まで白小小を連れて行った可能性がある。ど田舎過ぎて略奪を免れてきたと作中で明言されている黒山村の住人たちが外に出るのを渋り過ぎていたのも、外にそれだけ匪賊が跋扈していたということなのか。それと、たぶん山東響馬と重なる部分が大きそうだけど「山東馬賊」という存在も詳しく知りたい(実は点の位置が間違っていて、「この地の土匪はきわめて剽悍で、「山東馬賊」の名があり満州事変で有名な劉桂堂ももと山東匪軍の首領であった」のほうが正しいのでなければ)。ただこの節は脚注で参考文献が示されていない部分だから頭から鵜呑みにするのは危険だな。